― 出会いの型と垣間見 ―
山 口 一 樹(日本文学科 助教)
映画やテレビドラマを観たり小説や漫画を読んだりしていると、恋の発端を語る場面で『これはどこかで見たことがある設定だな』と思うことがあります。例えば、のっぴきならない事情によって恋人や夫婦のふりをしなければならなくなる、とか、終電を逃した後、たまたま改札口で鉢合わせる、とか。より使い古されたところでいえば、朝寝坊して急いで学校へ向かっていたら曲がり角で衝突する、といった出会いも挙げられるでしょうか。
このように恋の契機に類型的な発想が見出せる、という現象は、古典文学の世界においても認められます。代表的なものが“垣間見”です。垣間見とは、その名のとおり、ある人物が他の人物を物陰から覗き見る行為を指し、物語では男女の出会いを語る場面においてよくみられます。貴族社会においては女性が男性に直接姿を見せることが稀であったため、フィクションの世界ではこうした偶発的な出会いが好まれたのだと予想されます。
垣間見の場面を読んでいて興味深いのは、ひそかに他者を見るという枠組みは共通していても、対象となる人物の性格やその場の状況、前後の展開等には微妙な違いが見いだせる点です。
『伊勢物語』初段では、男が春日の里で若く美しい姉妹を垣間見して魅了される様子が語られています。『源氏物語』若紫巻の北山における光源氏の垣間見は、この『伊勢物語』初段の発想を踏まえたものと考えられていますが、光源氏の目が引きつけられたのは若い女性たちではなく、十歳ほどかと思われる少女、紫の上でした。許されない恋の相手である藤壺に似た紫の上を光源氏は理想の妻として育て上げていきます。やがて野分巻に至ると、今度は光源氏の息子である夕霧が紫の上を垣間見します。美しい紫の上に夕霧は魅了されますが、光源氏が義母にあたる藤壺と密通したのとは異なり、夕霧は紫の上への想いを自制し続けます。ここで回避された密通の可能性は、のちの柏木の密通に転化されると考えられてもいますが、事件が起きるきっかけになったのも垣間見でした。光源氏が新たに迎えた妻女三宮を柏木は垣間見し、宮に対し秘めていた思いを燃え上がらせるのです。夕霧が紫の上の姿を目にしたのは強風により戸が開いていたためでしたが、柏木が女三宮を見たのは宮の飼い猫が屋内から飛び出し簾が引き上げられたためでした。柏木と女三宮の密通で生まれた不義の子薫も、宇治の姫君を垣間見する場面が複数設けられています。浮舟という女君の存在を聞き知った段階ではあまり乗り気でなかった薫ですが、彼女の姿を垣間見したことで、追慕する大君と同じ八の宮の子であることを確かめ、関係を進めていきます。光源氏が垣間見をした後で紫の上と藤壺の血縁関係を聞き知っていたのとは順序が異なり、慎重な薫の態度が見て取れるように思います。
最近の偽装恋愛物でも、細部の設定にはさまざまな工夫が凝らされています。曲がり角で二人が衝突しても、単純に恋の物語に発展することはあまりないのではないでしょうか。既存の様式を踏まえていたとしても、それ自体は作品の価値が低いことを意味しないのだと思います。型の存在とそこからのずらしに目を凝らすと、作品の魅力はより深く味わえるようになるかもしれません。