気になる作家のペンネーム事情 ―ある女性作家の場合―

笠 間 は る な(日本文学科 准教授)

 

こんにちは。近代文学担当の笠間です。私は明治の文学を研究していますが、最近気になっているのが、作家のペンネームです。さてみなさん、次の3つの名前はすべてそれなりに有名な明治中期の作家の名前です。誰だかわかりますか?

 

①春廼舎朧(はるのやおぼろ)  ②浅香のぬま子  ③畠芋之助(はたけいものすけ)

 

正解は①坪内逍遥、②樋口一葉、③泉鏡花です。それぞれ近代の文学史を紐解くと必ず名前を見る作家ですね。しかし彼らは今知られる筆名で一貫して作品を発表していたのではなく、作品のいくつかを上記のような見慣れない名前で世に出していました。

こうした別名があることは知っていましたが、最近、これはなかなか面白い問題だなと思うようになりました。そのきっかけは清水紫琴という女性作家です。

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写真 清水紫琴
出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」 (/www.ndl.go.jp/portrait/)

清水紫琴(本名清水豊子)は、「こわれ指環」(明治24年)というごく短い小説で知られる明治の女性作家です。文庫本などでもたいてい紫琴の名で「こわれ指環」が収録されているので、私の中で長らく、この筆名と作品名は分かちがたく結びついていました。

しかし、実は「こわれ指環」は、「つゆ子」というペンネームで当時発表されたもので、清水紫琴という筆名は、もっと後に使われるようになったようなのです。

「こわれ指環」が発表された当時、清水紫琴は『女学雑誌』という女性向け啓蒙雑誌の記者として活躍していました。『女学雑誌』を紐解くと、紫琴はほかに「生野ふみ子」「とよ子」あるいは本名の「清水豊子」など、複数の名前を意図的に使い分けていた形跡が見られます。

子供向けの記事は平易な名前の「とよ子」。著名人へのインタビューは「行く」つまり「訪問する」の意を冠した「生野(=行く野)ふみ子」。そして自分の政治主張を発する際は本名の「清水豊子」。

この清水紫琴のふるまいがちょっと面白い。「つゆ子」「生野ふみ子」「とよ子」そして後年の「紫琴」、これらの名前からどのような人物をイメージするかと言われると、それぞれに異なっていないでしょうか。平仮名のほうが優しそうだったり、雅号のほうが知的っぽかったり。

つまり、彼女たちはすべて同じ一人の人間だけれど、それぞれちょっとずつ違う存在として、読者の前で振る舞おうとしていたように思われるのです。自分の書くものに合わせて、作者のほうが自己を変形させている、といえばよいでしょうか。

作家という一人の人間に、一枚岩ではない色々な顔がある。そんなことを、作家の名前という小さなことから考えてみることができるように思います。

 

【参考文献と読書案内】
紅野敏郎他編『日本近代短編小説選 明治編1』(岩波文庫、2012年)
高田知波『姓と性-近代文学における名前とジェンダー』(翰林書房、2013年)