「黒塚」の巻
深 澤 昌 夫(日本文学科 教授)
前回、九尾の狐で知られる那須の殺生石について書いた。その報道から10日ほど経ったころ、今度は安達ヶ原の鬼婆伝説で有名な二本松の観世寺で岩屋の一部が崩れたというニュースが入ってきた。
震災から丸11年経った3月16日、深夜に発生した福島県沖を震源とする地震の影響である。今回の地震は最大震度6強。高速道路に長さ50メートルにも及ぶ亀裂が入ったり、新幹線が脱線して一ヶ月も不通になったり、宮城・福島両県で断水や停電が発生するなど、何かと被害が大きかった。
件の岩屋は11年前の震災当時は何ともなかったようだが、昨年2月も福島沖を震源とする大きな地震があった。そしてまた今回。度重なる地震のせいで岩屋の一部(といっても高さ3メートル、幅7メートルの巨石)が割れ落ちたと考えられている。
実は昨年12月、観世寺に行ってこの岩屋を見てきたばかりだった。
日本文学科の専門科目に「東北の文学・文化・ことば」という科目がある。私とS先生が二人がかりで担当している。この授業では「MTTミヤガク東北トラベル」という架空の旅行会社を作り、「東北再発見」をテーマに社員たちがツアーを企画、実際に現地調査などもおこなって、その成果を1冊のガイドブックにまとめるというアクティビティを展開している。いわば、非実学系学科ならではの「遊び」と「学び」の融合によるキャリア教育の実践(あるいは実験)である。
そのMTTミヤガク東北トラベルで昨年来取り組んでいるテーマが「みちのく鬼伝説」であった。
【写真1】MTTミヤガク東北トラベル2021
「みちのく『鬼』伝説への旅 鬼首&鬼死骸―田村麻呂・オオタケマル伝説」
ご承知のように、東北地方には鬼にまつわる伝説や昔話が多い。また、ナマハゲや鬼剣舞など「鬼面の芸能」も多い。そこで我々は、まず手始めに宮城県の「鬼首」と岩手県の「鬼死骸」地区(要するに旧仙台藩の北辺)を中心に調査を行った。そして今年度は他の地域に調査エリアを広げようと考えていた。12月の観世寺訪問はその予備調査だったのである。
観世寺の岩屋は大小さまざまな石で構成されており、それぞれ「笠石」「甲羅石」「安堵石」「祈り石」といった名前がつけられている。
実際に行ってみるとわかるが、いったいなぜこんなところに、こんなものが!? と驚くほど、いくつもの奇岩・巨石が奇跡的ともいえる絶妙なバランスで積み重なっている。
その姿はまるで岩石でできた巨大な生き物(恐竜?)が上手に手足を折りたたんでじっとうずくまっているかのようにも見える。また、岩屋の背後に回ると岩と岩との間にかろうじて人が入れそうな隙間があって、それを通り抜けると生命が更新されるという「胎内くぐり」がある。
【写真2】安達ヶ原の「岩屋」
【写真3】岩屋の背面にある「胎内くぐり」
松尾芭蕉も元禄二年(1689)の旅で当地を訪れている。那須の殺生石や福島の安達ヶ原、宮城県では多賀城の壺の碑(いしぶみ)や末の松山など、関東以北の名所・旧跡で往時の面影を残している多くの土地が「おくのほそ道の風景地」として国の名勝に指定されている。とりわけ安達ヶ原の岩屋は一見の価値ありと思う。
幸い、今回の地震で崩れたのは岩屋の一部であって、全体が崩落したわけではない。崩れたのは観音堂の脇にある「蛇石」であった。「蛇石」という名はこの石の近辺に白蛇が棲みついたことに由来する。蛇は時に邪神として忌み嫌われることもあるが、ここ観世寺では白真弓如意輪観音の化身とされ、寺の守護神として大切に祀られている。
【写真4】観世寺内「白真弓如意輪観音堂」
*蛇石は観音堂の右側、石燈籠のすぐ後ろにある。
【写真5】この池で血の付いた出刃包丁を洗ったという「出刃洗いの池」
*池の背後にある建物が観音堂。その右脇の大きな石が蛇石。
【写真6】観音堂裏手から見た「蛇石」
*今回崩れたのは手前に見える部分。もともと隣に見える巨石の一部であった。
観世寺の岩屋は見た目にも迫力があり、これだけでも十分観賞する価値があるのだが、実はこの岩屋には千年にも及ぶ黒い歴史、いわば黒い「いわれ」があるのだった。