【連載】歌川芳藤「膝の上猫の寿古六」(東京都中央図書館蔵)を読む 其の13

【連載】歌川芳藤「膝の上猫の寿古六」(東京都中央図書館蔵)を読む 其の13

深 澤 昌 夫(日本文学科 教授)

 「宿なし」から「どろぼう猫」になった玉。今日はどこかの家に忍び込み、お櫃に入った飯を盗み食い。

昔は釜で飯を炊いた後、必ずお櫃に移した。飯櫃は余分な水分を吸収するだけでなく、適度に水分を保つ効果もあったので、冷めても美味しくいただくことができた。

さて、本図では「おひつ」のことを「おはち」と呼んでいる。厳密にいえば。櫃と鉢は別物だが、関東ではこれらをあまり区別せず「鉢」と呼んでいた。

その形状を見ると、この絵の「おはち」は飯を入れるほうの器より蓋の方が大きい。これは江戸で一般的だった「かぶせ櫃」というタイプである。

猫は後足で立ち上がり、身を乗り出して、「にゃべにゃべ」(むしゃむしゃ?)白米に喰らいついている。

「腹がへると、すめしでんめえ」

「すめし」は「素めし」。 「酢飯」ではない。要するに、腹が減っていれば、副食(おかず、惣菜)がついてないただの飯でも「美味え!」と言っているのである。

それも「うまい」「うめえ」より「んめえ」の方がより実感がこもっているような気がする。

白米を常食とする習慣は元禄時代に普及した。それ以前は限られた人しか食べられなかったわけだから、白米はそれじたいがご馳走だった。

しかし、わずかの副食で大量の白米を摂取する偏った食生活を続けた結果、人々はビタミン不足に陥り、脚気が流行した。当時、脚気のことを「江戸わずらひ」と言った。江戸は地方に比べて白米の常食化が進行していたからである。

それにしても、我らが玉は首輪や鈴どころか、もはや着物も身につけていない。その言葉遣いも顔つきも、かつての可愛らしさや育ちのよさは身を潜め、どことなく粗野でワルっぽくなってしまったようだ。

 

<其の14へ続く>