「殺生石」の巻―其の二―

 深 澤 昌 夫(日本文学科 教授)

 

たとえば、江戸時代中期の画師、特に妖怪画で名高い鳥山石燕はこんな絵を描いている。

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【左】「玉藻の前」 鳥山石燕『今昔画図続百鬼』巻之上「雨」(安永8年/1779)所収
【右】「殺生石」 鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』中之巻「霧」(安永10年/1781)所収
*上記画像はいずれも稲田篤信・田中直日編『鳥山石燕 画図百鬼夜行』(国書刊行会、1992・12)による。

ご覧の通り、石燕の描く玉藻の前は十二単をまとった王朝風の美女である。だが、その優美な姿・表情とは裏腹に、人物の背後には九本の尻尾が描かれ、その尻尾から強烈な光線を放つなど、いかにも「変化(へんげ)」のモノらしいただならぬ存在感を醸し出している。

ところで、石燕の絵には「商(いん)の妲己は狐の精なりと云々」と書かれている。中世、能の『殺生石』では、玉藻の前の前世は周の幽王の后褒姒(ほうじ)であるとされていたが、近世になると、殷の紂王の后妲己(だっき)もまた九尾の狐の化身であったと言われるようになり、時代とともにその悪行が積み増しされていることがわかる。

次の絵はちょっと珍しい(笑)ツーショットである。

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【上】「殷の妲妃と孫悟空」 葛飾北斎『北斎漫画』十編(文政2年/1819)所収
*上記画像は永田生慈監修・解説『北斎漫画』二(岩崎美術社、1987・1)による。
*同書は冊子体になっているので絵が左右に分割されているが、元は一枚絵として描かれている。

この絵は孫悟空と妲己、つまり猿の妖怪と狐の妖怪(男と女、オスとメス? ともに中国産)を取り合わせたものである。描いたのは画狂老人(当時はまだ老人ではなかったが)葛飾北斎である。

北斎の描く妲己もやはり傾国の美女=傾城風で、その身にすり寄る九尾の狐をペットのように手なずけているかのごとくであり、見ようによっては妲己の背後から尻尾が生えているようにも見える。

また、孫悟空は自分の毛をむしって宙に放ち、無数の分身を作りだしているが、これもまた、見ようによっては孫悟空が紙吹雪?を盛大に散らして、妲己姐さんの登場を盛大に盛り上げているように見えなくもない(笑)

さて、次の絵は江戸時代後期、ほぼ幕末に近いころの作例である。

玉藻の前が本性をあらわし九尾の狐になると、かなり凶悪・凶暴な表情をもったケダモノになる。

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【左】国義『那須野九尾狐討取』(画師・刊行年等、詳細不明)
*上記画像は国際日本文化研究センター「怪異・妖怪画像データベース」による。なお、本作は二代目歌川国久の『三浦上総両介那須野九尾狐討取』大判錦絵三枚続(安政5年/1858、ボストン美術館・プーシキン国立美術館等に所蔵)の中央図の狐と左図の上総介を取り合わせて一枚物に仕立てたのではないかと思われる。
【右】歌川芳員『百種怪談妖物雙六(むかしばなしばけものすごろく)』の内「金毛九尾の狐」(安政5年/1858)
*上記画像は国立国会図書館デジタルコレクションによる。

 

ついでにもう一枚紹介しておこう。

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