2023年度入学式 学長式辞

宮城学院に入学された新入生の皆さんご入学おめでとうございます。
宮城学院女子大学は、皆さんの入学を心から喜び、歓迎いたします。

今、皆さんは様々な思いを持っておられることでしょう。ある人は、すでに将来の職業選択を見据え、自分の専門分野でたくさんの知識やスキルを学ぼうと、意気軒昂としておられるかもしれないし、またそれとは対極に、まだ何も決められずに、ただみんなと一緒に学生生活を送ることだけを目的にしている方もおられるかもしれない。かててくわえて、残念にも、様々な理由で失意のうちにこの大学に入学してこられた方も、あるいはいるかもしれない。それは、国公立・私立を問わず、全国800近くの大学に共通する、新入生の皆さんの心象風景だと思います。

そんな皆さんの中には、入学に至るまでの受験競争の中で深く傷つき、自分の能力や資質に自信が持てないでいる方が、けっして少なくない割合でおられる。これは受験競争を持つ社会では必ず見られる現実でしょう。人間が生きて行く上で、健全な意味で自分に自信を持つことができるかどうかは、とても大事な問題です。それは、多くの場合、あるがままの自分の現実をしっかりと見極め、それを受け入れることさえできれば、必ずや解決する問題なのです。しかし、実際は、皆さんが経験してきた受験競争が、それをなかなか許してくれない。これまで、高校や塾、予備校で無数に行われた試験や進学のための模擬試験によって、おそらく皆さんは、自分が評価され、選別されるしんどさを、嫌というほど味わってきたのではないかと思います。そんな経験を無数にし続けると、人間は、いつの間にか、他者と比べることによってしか、自分を評価するができなくなってしまう。また他者に勝つか負けるか、という基準が自分の能力や資質の評価基準となってしまう。問題があるとは知りつつも逃れられない。大学に入学したばかりの新入生に共通する考え方です。優越感は劣等感と表裏の関係にありますから、他者との比較が自己評価の基準である限り、優位にあっても劣位にあっても自分の能力や資質は正しく見極められません。そこから、新入生の少なくない方々が、心の中にある種の満たされない「隙間」ないし「闇」を抱えてしまうことになる。

ところで、宮城学院女子大学の教育目的は、建学の精神に示されています。それは「福音主義キリスト教に基づいて学校教育を行い、神を畏れ敬い、自由かつ謙虚に真理を探究し、隣人愛に立ってすべての人の人格を尊重し、人類の福祉と世界の平和に貢献する女性を育成すること」というものです。それは、「神を畏れ(敬い)、隣人を愛する」という現在のスクール・モットーに集約された旧約聖書の十戒の精神に他なりません。無宗教の精神風土をもつ日本の社会では、このような「神」を語ることに違和感を覚える方も少なくない。
しかし、それを承知であえて申し上げるのですが、聖書は、私たちに、人間が人間として自律的に生きるためには、創り主である神の前に立ち、神を畏れ敬うことが必要であることを教えます。また、神はこの私を無限の義と愛をもって慈しんでくださる。隣人もまた、神が、私と同様に慈しんでくださる存在だから、神と同じように愛し仕えることが良いことなのだ、そう聖書は教えます。実は、不思議なことに、私たち人間は、そんな生き方を実際にしてみる時、惑うことなく自分自身の人生を前向きに歩むことが実際に可能となるのです。

宮城学院は、皆さんの人生にとって最も大事なもの、最も必要なものを提供することをミッションとしています。それは、神様の泉から湧き出る命の水、福音です。皆さんは、それぞれの思いや事情を背負いながら宮城学院に入学してこられましたが、実は、一人びとり神様によって選ばれ、神様から大きな恵みをいただけるようにと、この宮城学院に入学してこられた方々なのです。なぜそんなことが言えるか、というと、宮城学院はその働きに仕えるために神様のご計画の中で設立された学校だからです。

1886年に宮城女学校として設置されて以来、本校は、137年間にわたって先ほど読んだ建学の精神を受け継ぎながら女子教育を行なってきました。ホームページにもその凜とした肖像写真が載せられている初代校長エリザベス・プールボー先生をはじめとする若きアメリカ人女性たちが、当時「不思議の国」と呼ばれた東洋の島国日本を目指して、遠路はるばる一万キロ以上旅し、この東北地方の仙台へとやって来ました。その目的は、ひとえに、社会的劣位な状況に生きざるをえなかった当時の女性たちに福音と教育を与え、神のもとにあって自律的に生きる道を示すためでした。

皆さんは、入学に至るまでの3年の間、新型コロナウイルス流行の中で、非常に厳しい学校生活を過ごしてこられました。現在、そのような流行が終息しつつあるようです。しかし、流行の終息は、3年前の状態に戻ることを意味しません。今、私たちを取り巻く歴史社会的な状況は厳しいものがあります。ユーラシア大陸の西側では戦争が続き、東側の日本を取り巻く東アジアにおいても、戦争のリスクが叫ばれています。世界経済は、不況と停滞の真只中にあります。どうも、時代は今、日本も含め、世界中が新しい時代を迎えつつあるようです。ただし、その新たな時代とは、残念なことに、どうも、あまりのんびりと生きて行くことができない厳しい時代のようにも思われます。皆さんは、そのような時代の中で生きていかざるを得ないのかもしれません。しかし、恐れる必要はありません。聖書のみ言葉に聞きましょう。

主よ、あなたの慈しみは天に
あなたの真実は大空に満ちている。
恵みの御業は神の山々のよう
あなたの裁きは大いなる深淵。主よ、あなたは人をも獣をも救われる。
神よ、慈しみはいかに貴いことか。あなたの翼の陰に人の子らは身を寄せ
あなたの家に滴る恵みに潤い
あなたの甘美な流れに渇きを癒す。
命の泉はあなたにあり
あなたの光に、わたしたちは光を見る。
あなたを知る人の上に。
慈しみが常にありますように。心のまっすぐな人の上に
恵みの御業が常にありますように。

旧約聖書、詩篇36編6節から11節までの箇所です。あの古代イスラエルの王、ダビデが歌った詩です。この部分の前後には、この世の悪人たちの跋扈する状況を嘆き批判するダビデの言葉が記されています。ダビデ王は、様々な悪が跋扈する時代の只中で、心の中にある、満たされることのない深い隙間と、そこから生まれる不安な思いに苦しみます。しかし、この世のどのような事柄も、その満たされない隙間を埋めてはくれない。その隙間を埋め、彼の心を暖かく包み込んでくれたのは、私たちに対する神の愛と義と慈しみでした。彼は、その救いの御業を心から感謝し、神を賛美しているのです。

いつの時代にあっても、人間の心の中には、どうしても埋めることのできない、満たされない部分が必ずあります。それが私たち人間に、言いようのない不安や絶望的な思いに駆り立てるのだと思います。それは、いかに優れた知恵や知識であっても、たとえ深く愛し合う男女の関係であっても、癒すことはできません。しかし、その隙間や闇を満たし、自分が自分であることを確信させ、わたしたちに前向きに生き生きと生きていく力を与えてくれる方がおられます。それが、キリスト教における神というお方なのだと思います。

宮城学院女子大学のタグラインは「愛のある知性を。」です。それは、神の義と愛と慈しみに裏打ちされた知性、教養です。そのような知性を身につけることによって、私たちは、この不安な時代を、自信と希望を持って、前向きに歩んでいくことができます。

新入生のみなさんにお願いが3つあります。
①大学でしっかりと、自分で納得できる学問的な知恵、科学に裏打ちされた判断力を得る学びをしていただきたい。
②ぜひ、一日一回、聖書を手に取って読みすすめていただきたい。あなたの若い日にあなたの作り主をおぼえよ、という言葉は真理です。
③毎週2日ごとに行われる大学礼拝に出席していただきたい。続けているうちに、きっと必ず、皆さんの「満たされない心の隙間」や「闇」を満たしてくれるみ言葉や教えに出会うことができます。それは、皆さんにとっての一生の宝となることでしょう。

保護者の皆様、本日は、この宮城学院の入学式へと御子様がたと一緒に足を運んでくださり、ありがとうございます。そして一緒に、新入生の入学式をお祝いすることができますことを心から感謝するものです。
本日は、ご入学、本当におめでとうございます。これをもって式辞とさせていただきます。

 

2023年4月4日
宮城学院女子大学
学長 長谷部 弘