2022年度学位記授与式 学長告辞

本日ここに、晴れて学士そして修士の学位を授与された皆さん、おめでとうございます。また、今日までお子さまを支えてこられた保護者の皆様、おめでとうございます。心よりお慶び申し上げます。

私たちはこの十年余りのうちに、千年に一度の大震災、百年に一度の感染パンデミック、そして77年ぶりの世界秩序の崩壊を経験しました。後の世の人がこの時代を振り返れば、何という時代だろうと驚くに違いない特異な時代を、私たちはいま生きています。その中を皆さんは今日巣立ち行かれようとしています。この予測不可能な時代を、私たちは一体これからどう生き抜いたらよいのでしょうか。

宮城学院女子大学は2021年、「愛のある知性を。」という言葉に、その答えを見いだしました。

「知性」は、先ず以て、皆さんが学ばれた専門領域に宿ります。専門の知識や経験、そして資格を身に付けてこそ、皆さんはこの混沌とした時代にしっかりと自分の軸足を定めることができるのです。しかし専門性という「知性」は、一分野単独では、私たちの課題を解決することができません。一つの「知性」は、「他者」と出会い、「他者」と共に働いて初めて課題を解決することができるのです。ここに「他者」とは、私と「違う」ことによって私を豊かにしてくれる存在のことです。私は2年前、大学広報の企画として哲学者の野家啓一先生と対談する機会を与えられ、「実り豊かな不一致」という言葉を教わりました。この「実り豊かな不一致」を与えてくれるのが「他者」なのです。「愛のある知性」とは「他者」と共に働くことを求める知性のことです。そしてこの「愛のある知性」こそは、皆さんが本学で学ばれた教養=リベラルアーツに他なりません。

「他者」と出会うために、私たちは顔と顔を合わせる必要があります。しかし私たちはこの3年間、そのことができませんでした。コロナの間、私たちはマスクによって顔を覆うことに慣れてしまいました。覆ったのは顔だけではありません。心も覆いました。いま私たちがマスクを手放せないのは、感染が怖いからだけではなく、人前に素顔をさらすことが怖いからです。この生活をいつまでも続けるわけにはいきません。近い将来、私たちは勇気をもってマスクを外さなければなりません。「ポストコロナ」は黙って待つものではなく、私たちが作り出すべきものだからです。

コロナの数少ない功績の一つは、この病気が「弱さ」の持つ価値を私たちに教えてくれたことにありました。3年前、封鎖された武漢の街で作家方方(ファンファン)さんは「武漢日記」を著し、「一つの国家が文明的かどうかを計る尺度はたった一つ。それは、その国の<弱者>に対する態度なのです」と書きました。また、国際紛争解決の専門家、ハーバード大学のドナ・ヒックス教授は紛争解決のための「個の尊厳」モデルを提唱し、「個の尊厳」を「生きとし生けるものが持つ価値と<傷つきやすさ>」と定義しました。二人の言葉は、私たち人間一人ひとりが根源的に持っている<かけがえのなさ>が、私たちの<弱さ>と深く結びついていることを教えてくれます。

人間一人ひとりが持つ「弱さ」の大切さに気付き、その価値を世界に訴えたのが二人の女性であったことは、けっして偶然ではありません。宮城学院の初代校長エリザベス・プールボー先生もまた、そのような女性の一人でした。今から137年前の1886年、米国から日本に向けて旅立つ直前の送別礼拝で彼女が選んだ聖書は、コリントの信徒への手紙Ⅱ第十二章9節でした。そこには「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮される」との、パウロが聴いた主イエスの言葉が書かれています。故郷ペンシルバニアと友人たちに別れを告げ、東海岸から大陸横断鉄道で一週間かけて西海岸サンフランシスコへ、そしてさらに20日間の船旅を経て横浜に来ようとする31歳の独身女性にとって、「わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力はあなたの弱さの中でこそ十分に発揮される」という主イエスの言葉がどれだけ大きな励ましとなったことか、想像に難くありません。この言葉は礼拝堂脇の噴水の奥にある記念碑に刻まれていますので、卒業前にぜひもう一度ご覧になって下さい。

私たちの弱さの中でこそ主イエスの力が十分に発揮されると知る時、パッションという言葉が心に浮かびます。パッションには「情熱」と「受難」という二つの意味があります。「情熱」の方はよくご存知と思いますが、「受難」の方はどうでしょうか。ヨハン・セバスチャン・バッハの書いた西洋音楽の最高傑作「マタイ受難曲」の受難曲を、じつはパッションと呼ぶのです。一体なぜ「パッション」という一つの言葉に「情熱」と「受難」という正反対の意味が宿るのでしょうか。じつはパッションはパッシブ、つまり受動という言葉と同じ語源を持っています。自分ではどうにもならない、自分がまったく受け身となるしかない出来事、という受動の語感が、片や「降りかかる受難」へ、片や「突き動かされる情熱」へと枝分かれしました。皆さんがこれから歩む道は決して平たんな道ではないことでありましょう。あまりに辛く、「受難パッション」を感じることもあることでしょう。しかし本学で「愛のある知性」を身に付けられた皆さんは、その時に必ずや、「情熱パッション」を奮い立たせ、降りかかる受難の解決に向かわれるに違いありません。

皆さんのこれからの長い人生が、神様に守られた豊かなものであることをお祈りいたしまして、学長からのお祝いの言葉といたします。本日は、ご卒業、誠におめでとうございました。

 

2023年3月18日
宮城学院女子大学
学長 末光 眞希