5月20日(木)に、末光眞希学長の就任式が宮城学院礼拝堂にて開催されました。
以下「学長就任の言葉」を掲載いたします。
学長就任の言葉
末光 眞希
2021 年 5 月 20 日
宮城学院に来て、はや1年が経ちました。その間、私の心の片隅に、私はいまだ就任式を受けていない学長であるという思いが常にありました。それは例えてみれば、仮免許で車を運転しているような居心地の悪さでありました。もっと深く言えば、私のように、40 年間、理系の研究者として工学部の男子学生とずっと人生を歩んできた者が、人文系の、しかも女子大学の学長に就くということが、およそ人間の理解を超えたことであるがゆえの居心地の悪さでありました。本日、就任式を執り行っていただき、礼拝として行われた就任式において、司式者から「あなたが今ここにいるのは神の摂理によるものである」との宣言をいただき、ようやく私は自分が、135 年の伝統を持つキリスト教主義大学の学長職に今あることを、少しく理解できる思いがしております。
この一年の歩みを経た今、学長として当たり前のことかも知れませんが、私は宮城学院が大好きになりました。私はこの学院の教職員の皆さんが大好きです。そして、この学院の園児、生徒、学生たちが大好きです。この四月から「くらしの中の数学」と言う講義名で3年生の教養科目を受け持っています。数学の授業にも関わらず、何と 7 つの学科・専攻から 14 人の学生が履修してくれました。児童教育専攻から 4 人の受講者というのは教員志望としてよく分かるとして、日本文学科からも 4 人が受講しているというのはすごいことだと思います。私は、本学の学生が自分の専門とは別のリベラルアーツに抱く知的好奇心を知り、本当に嬉しく思っています。
新型コロナ禍の中で行われる本学の様々なプログラムを知るにつけ、私は本学の特徴を一言で著わすキーワードは<臨床性>であると思うようになりました。また、なぜこの時代に女子大学なのかということを問い続ける中で、<弱さ>という概念にたどり着きました。たとえばドナ・ヒックスさんが提唱される、「個の尊厳」はその人が持つ「傷つきやすさ」に関わっている、という考えに私は深い共感を覚えています。そしていま私は、本学が女子大学として今日存在する意義は、日本社会に、「弱さ」が持つ価値を気付かせるためではないかと思い始めています。日本の社会は弱者に対してとても冷たいし、きちんと向き合っていない。そして効率を求めて弱者を無視する空気が、日本社会を、そのあり得べき発展から遠ざけています。私はもし本学が、人間一人ひとりが持つ弱さに徹底的に向き合うことにおいて日本一になることが出来たら、それはどんなに素敵なことかと思います。弱者救済といった上から目線の話ではありません。人間一人ひとりが持つ「弱さ」、そこには神の前の弱さが中心にあります。そしてパウロが言うように、その弱さを知る時に私たちはもっとも強いのです。こうした、私たちの「弱さ」に「個の尊厳」を視ることを基本として教育を行うこと――これこそは本学の建学の精神がこの時代に生きる私たちに問いかけるミッションなのではないかと思っています。
最後に、これからも愛する宮城学院のために全力を尽くすことをお約束いたしまして、私の学長就任の挨拶とさせていただきます。これからもどうぞよろしくお願いいたします。