『震災と子どもの健康,学校・保健室の在り方について』
~大原小学校のボランティア活動を通して学んだこと,考えたこと~
食品栄養学科2年 遠山 紗耶子
東日本大震災から6年の月日が過ぎようとしているが、被災地は復興が進んでいる一方で、子どもたちの心のケアにおいてまだまだ時間が必要である。自分自身、被災者として経験した記憶は消えることはなく、震災時は何もできない自分の無力感にさらされていたことを覚えている。大原小学校ボランティアに1年次から参加し、実際に子どもたちと触れ合う中で、子どもたちには素直な気持ちがある反面、心のそこに抱えている思いや、先生や家族に言えない、我慢している部分もあるということを知ることができた。
大原小学校は石巻市の牡鹿半島に位置し、児童の数が少ないため、普段は1・2年生の低学年クラス、3・4年生の中学年クラス、5・6年生の高学年クラスという複式学級で授業を行っている。ボランティアを行う際には、各クラスの授業に参加し、授業の補助や休み時間には子どもたちと一緒に遊び、お昼も全校生徒と一緒に食べる。子供たちと同じ時間を共有することができ、とても近くで接することで私自身学ぶことが多いと感じる。高学年の子どもたちは、低学年の子どもたちの様子を普段からよく見ており、喧嘩や泣き声が聞こえるとすぐに様子を見に来てくれて、学校のリーダーとして、とても頼りになる。そんな高学年を見ながら、中学年、低学年の子どもたちは成長していくのだと思う。
ボランティアを通じて、はじめは緊張していた子どもたちとも少しずつ仲良くなることができ、学校以外のことも話してくれるようになった。先生でも親でもない、ある意味ほどよく他人であり、少しだけ信頼感があるからこそ、小さなことでも話しに耳を傾けてくれる存在だからこそ、小さなことでもぽろっと口に出してしまうのではないか。ボランティアに参加する中で、被災地の現状を把握し、もっと子どもたちのことを、置かれている状況を理解して接したいという気持ちが強まった。そこで、ボランティアを通して、養護教諭として、保健室という場からどのように発信していくべきか、震災と子どもの健康に触れながら、保健室や養護教諭のあり方について考えてみた。
被災地の子どもたちの課題を挙げると、一般的には精神的(トラウマ、ショック)・環境的(家庭環境、通学手段、学区の移動、転校など)ストレス、運動量・遊びの変化(公園や空き地の喪失)、健康への影響(食生活、肥満率)、心のケアの対象(子ども、障害児、親、教師)、などが挙げられる。その中で、「トラウマ・ストレス・心のケア」の対象について考えてみる。
トラウマとは外的内的要因による衝撃的な肉体的、精神的な衝撃を受けた事で長い間それにとらわれてしまう状態で、否定的な影響を持っていることを指す。震災発生時に起こりえるストレス障害として、急性ストレス障害(ASD)、心的外傷ストレス障害(PTSD)について考えてみた。
急性ストレス障害(ASD)とは、震災当時の恐怖や、不安が突然よみがえったり、怖かった場所にはいけなくなったり、小さな揺れ、音にも敏感に反応してしまう症状のことを指す。大原小学校でボランティアをしている時に、震度4ほどの地震が発生したことがあった。大原小学校のある地区は海に面しており、子どもたちと一緒にいる以上、自分は動揺してはいけないと思った。子どもたちは思っていたよりも動揺せず、何ごともなかったような状態を装っていたが、地震が来る前に聞こえる地響きにぴくっと反応していた。私も地鳴りのような音には今でも敏感に反応してしまう。このような症状には個人差があり、このような感覚が強いとASDと呼ばれるが、たいていは数日から数週間で自然に元に戻る。
心的外傷ストレス障害(PTSD)とは、ストレス体験からしばらくたって発症する場合が多く、ASDのような状態が4週間以上持続することを言う。PTSDでは、①追体験(フラッシュバック)、②回避・麻痺、③過覚醒の症状があげられる。とくに子供の場合は客観的な知識がないため、映像や感覚が取り込まれ、はっきり原因の分からない腹痛、頭痛、吐き気、悪夢が繰り返される。子どもの中には自分の苦痛をうまく言葉で表現できず、落ち着きをなくしたり、怒りっぽくなったり、引きこもるなどの行動で表現したり、寝つきが悪い、眠りが浅い、食欲がない体調不良などといった身体の不調で訴えたりする。ボランティアを機に,そういった小さな変化を見逃さず、気にかけることが重要であることを学ぶことができた。
ASDやPTSDは、地震の大きさ・震災の被害が大きいほどなりやすいというわけではなく、子どもたち自身が感じているストレスが大きいほどなりやすい。当時どれほど怖い(心の傷を負った)と感じたのかによるため、子どもたち一人ひとりのケアが必要となる。震災によって、公民館や体育館、仮設住宅などの慣れない、落ち着かない環境での生活、家族や知人、大切な存在の死、のびのび遊ぶことができる場の減少、避難の関係による転校など子どもたちの身の回りでは大きく生活環境が変化した。また,直接被災をしていない場合でも,繰り返される報道等によりあたかも自分が体験したように感じ,反応を示す子どももいる。こうした様々な状況下において、一人ひとりと向き合う環境づくりが必要になると考える。
心的ストレスを抱えているのは、子どもたちだけではなく、地域、家族、学校と幅広く、ケアの対象はとても幅が広い。子どもたち自身も、今置かれている状況を自分たちなりに考え行動するため、気持ちに無理が生じ、素直になれない、我慢するなど小さなことが積み重なり、一人では抱えきれなくなってしまう。普段の生活であれば、周りにいる大人たちが気付き、ケアしてくれるだろう。しかし、震災時は皆、自分たちが生きることで精一杯であり、細かな子どもの変化に気付けない状況にある。その際に学校はどのような役割があり、ケアを行えるか考えていきたい。
子どもたちにとって学校という存在は、唯一震災前の生活を送れる場である。とはいえ、校庭が仮設住宅となってしまったり、体育館が避難所となっていたり、仮設の校舎であったりと必ずしも震災前と同じ状況ではない。しかし、そこには、同じ境遇の仲間がいて、先生がいて、教室で、自分のクラスで授業を受ける、休み時間には友達と何気ない話をする、そういった小さな日常の積み重ねが子どもたちの心のケアには欠かせないのではないか。子どもたちがそのように安心して学校生活できるように支援していくことが大切である。
保健室を利用する子どもは何でもない子なんて決していない。何か理由があって、何かを抱えて、何かを察してほしいのかもしれない。子どもたちと接する中で小さな異変に気付き、悩みを打ち明けるきっかけを、背中を押すタイミングを見つけ、支援していくこと、また、他の教員と連携をはかり、子どもたち一人ひとりに時間をかけゆっくり、少しずつ元の生活に近づけていく、そんな架け橋のような存在として養護教諭は動くべきであると考える。
私は、大原小学校のボランティアを通して、様々な視点から子どもたちの問題を考えることができた。今後も子どもたちの立場になって考え、今の自分にできる活動を継続していきたいと思う。
なお,以下の写真の児童が上記症状の見られる児童とイコールではありませんのでご了承ください。