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―日本語教育ゼミ3年生のレポート紹介(後編)―
澤 邉 裕 子(日本文学科 教授)
2022年度、3年生の日本語教育ゼミには7名が所属しています。4年生で卒業研究を行う前に、3年生の段階でも自ら日本語や日本語教育に関する問いを設定し、自分でデータを収集して分析、考察するというレポートの作成と発表を行っています。今回はそのレポートを紹介する2回シリーズの後編です。3人のレポートのエッセンスを紹介します。
●報道メディアで用いられる新型コロナウィルス関連の用語をやさしい日本語へ(澤田円さん)
澤田さんが注目したのは、2020年から現在まで続く新型コロナウィルス関連のメディア情報で使用される日本語です。ニュースや新聞では聞きなれない医療用語や横文字が飛び交い、日本人でもことばの意味を把握することに時間を要したことから、日本に住む外国人や、日本語を学習している最中の人が新型コロナウイルスの最新情報を把握するのはさらに難しいだろうと澤田さんは考えました。そこで、レポートでは、メディアで用いられる医学用語や感染に関する用語を調べ、外国人や日本語学習者、高齢者にもわかりやすい表現、やさしい日本語への変換を試みるという目的を設定しました。まず澤田さんは2020年1月20日から2020年6月30日までの「河北新報」(夕刊含む)と「新型コロナウイルスNHK特設サイト」の新型コロナウイルスに関連する最新ニュース50件(2022/7/30時点)を参照し、紙面及びニュース中に頻繁に使われた用語を抽出、意味を調査しました。抽出した語は「緊急事態宣言」「コロナ禍」「濃厚接触者」「クラスター」「ソーシャルディスタンス」「飛沫」「ブレイクスルー感染」「ワクチン」といった8語です。澤田さんは、これらの語の説明を、外国人でも理解しやすい「やさしい日本語」への書きかえにチャレンジしました。その例を紹介しましょう。
・緊急事態宣言
新型コロナウイルスがたくさんのひとに感染しない(うつらない)ようにするための国のしくみです。他の県に人が行かないようにしたり、お店が開く時間を短くしたりします。
・コロナ禍
新型コロナウイルスで困っている状況のことです。「禍」は災害、幸せじゃない、つらいという意味です。
・濃厚接触者(感染した人と長い時間一緒にいた人)
新型コロナウイルスに感染した人と、長い時間一緒にいた人です。新型コロナウイルスに感染しているかもしれません。
日本で暮らすたくさんの外国人の方のために、多言語で情報を提供することも大切ですが、すべての言語に対応できるわけではないので、「やさしい日本語」の活用も大切なことだと思います。なお、その際には、漢字が読めない人のために、すべての漢字にルビをふるようにすることも大事ですね。社会の中で、生活に必須の情報の入手に困っている人がいないか、どのようにすればその助けができるかを、自分の持つ専門性から考えることができるようになることも大学生の学びの一つだと思います。日本語教育の専門性はこのようなところでも生かされます。
●東⽇本⼤震災や福島第⼀原発事故によって⽣まれたことばの変遷(鈴木千桜さん)
東日本大震災から11年。この 11 年間で「⽣まれたことば」、「変わったことば」、 「使われなくなったことば」もあると考えた鈴木千桜さんは、このレポートでは 2011 年から 2022 年までの朝⽇新聞を辿り、分析をしました。
初期(2011 年から 2015 年の 4 年間)に頻出していたことばは「想定外」、「安全神話」、「プール」「安全」、「放⽔」、「放射 線」、「屋内退避」、「シーベルト」、「⾵向き」、「フクシマ」であり、特に「安全神話」、「放⽔」、 「屋内退避」、「⾵向き」は早々に⾒出しから消えてしまったことばだということを鈴木さんは発見しました。中期(2018年)まで頻出していたことばは「放射能」、「甲状腺」、「被曝」、「除染」であり、「甲状腺」は除染作業における被曝の可能性や被曝することで甲状腺がんになる可能性が⾼まるのではないかというような⽂章に登場し、⼀緒に使われることが多かったため、使われなくなった時期も重なることを見出しました。現在まで頻出していることばは「復興」、「放射性物質」、「福島原発」、「汚染⽔」であり、「復興」は震災の翌年から⾒られるようになった言葉だとしています。「復興」は初期のころは、被災地での回復や希望を表す⾔葉として使われていましたが、徐々に国が⾏う政府の被災地に対する⽀援に使われるようになったと述べています。
さらに、調査をしていくなかで気になった言葉として「放出」、「汚染⽔」、「処理⽔」という言葉を挙げています。 特に「放出」は使われ⽅に特徴的な変遷が⾒られるとし、例を挙げて取り上げています。そのレポートの記述をそのまま引用します。
~以下、引用~
初期は、「放射能含む蒸気を放出」「原⼦炉建屋という外部への放出を防ぐ最後のとりで」「⼤量の放射性物質の放出に繋がるおそれがある。」 という放射能や放射性物質が原⼦炉の外へ出ることに使われていたことばだったが、⼀旦 使われなくなり、2014 年ごろから「地下⽔放出」、「漁連が了承 汚染⽔発⽣を抑制 地下⽔放出」という福島第⼀原発内に流れ込んでしまい、汚染された 1 リットル 1 ベクレル未満の地下⽔を海に流すことに再度使われた。そして、⻑い期間が開いた後、 「処理⽔放出「容認できぬ」6 割東北 3 県被災地、市町村⻑」「福島処理⽔放出、⾵評⽣じさせぬ ⾸相、被災地で決意」 という処理⽔を海に流すことに使われた。そして、気になるのが「汚染⽔」と「処理⽔」と いうことばだ。「汚染⽔」に関しては継続的に使われたことを記したが、2021 年は「処理済み汚染⽔」ということばに使われるようになっており、2022 年からは「処理⽔」と⼊れ替わるように⾒出しから「汚染⽔」ということばが使われなくなった。これについては肯定的に考えれば、「処理済み汚染⽔」ということばから⾵評被害や偏⾒が⽣まれないように「処理⽔」ということばに⼊れ替わったのだと考えられる。しかし、否定的に考えてみると、それまで10 年間も問題になっていた「汚染⽔」の問題がなくなり、次の年から「処理⽔」と いうことばだけ問題に取り上げられるようになるのも違和感がある。ことばによる印象操作のようにも考えられるのではないだろうか。
~引用ここまで~
今回、調査の対象は朝日新聞だけでしたので、これ以外の新聞社の新聞も対象に入れてより幅広く調査することで、震災や福島第一原発事故により生まれたことばや、使用のされ方の変化をより詳細に考察することができそうです。特に意味の変化、使用頻度の変化、使われ方の変化に注目していくのは、クリティカルに物事を捉えるうえで重要であり、日々生活をしていて気付きにくい、しかしながら私たちの生活にとても大切なことを発見できる可能性が大いにあると思います。
●日本語学習者が求める地域日本語教室の運営や在り方について(鈴木茅優さん)
鈴木茅優さんは、自身の住む宮城県内にある外国人のための日本語教室に関心を持っていました。その教室の外国人参加者はフィリピンや中国といったアジア系の方がほとんどであり、子供から大人まで、年齢や職業も多様な方たちで構成されているそうです。習熟度も、日常生活の会話ができるという方から平仮名・片仮名が読めない方まで様々ですが、教室には「日本語でコミュニケーションができるようになりたい」という目的で通っている方が多く、その意向を反映してか、教室内でもコミュニケーションによる対話を意識した指導法が行われていました。そのため教室の雰囲気も明るく朗らかであり、学習者も他の学習者や教師との会話を楽しんでいたとのことでした。鈴木さんは、日本語学習者にとって地域日本語教室とはどのような存在なのか、日本語学習者の地域日本語教室に対する要望には何があるのかという問いを立ててアンケート調査を行いました。9名の学習者の方の協力が得られたそうです。
調査の結果、日本語学習者にとって地域日本語教室は講師や日本語を学習する仲間とコミュニケーションを取ることができる、貴重な場として機能していることを明らかにしました。特に、講師とのコミュニケーションを通して「日本の文化に関心を持つ」学習者が多く見られたことから、学習者は地域日本語教室で日本語の語彙や文法だけでなく、日本の文化(例えばアニメや漫画、演劇といった大衆文化)についても学んでいることが伺えたそうです。日本語能力向上や日本の文化を学べる場所としてだけではなく、地域日本語教室に通うことで「友だちができた」と回答した学習者も多く見られたことから、地域における日本語学習者とのコミュニティ形成が行える貴重な場としても、地域日本語教室が機能していると鈴木さんは考察しました。
次に、日本語学習者の地域日本語教室に対する要望には「会話などのコミュニケーションを増やしてほしい」「漢字学習を充実してほしい」といった要望が多く見られたそうです。「日本語学習者にとって地域日本語教室は講師や日本語を学習する仲間とコミュニケーションを取ることができる貴重な場」として機能していることは先述しましたが、より多くのコミュニケーション活動を学習者が望んでいることが明らかとなったと述べています。
また、「平日より土曜日や日曜日に勉強したい」「朝よりも夜に勉強したい」「もっと難しい言葉や文法を勉強したい」「勉強する日を増やして欲しい」「アニメや漫画の言葉を勉強したい」といった要望があったことから、これらのニーズが学習者の日本語学習におけるモチベーションにもなり得るため、地域の日本語教室には学習者一人一人に寄り添った、よりきめ細やかな対応が求められると鈴木さんは考えました。
日本語学習者が求める地域日本語教室は、単に日本語を教授する場だけではないこと、講師や地域の日本語学習者と接点を持ち、且つ情報共有が行える地域コミュニティ形成の場として地域日本語教室が機能しているという点を、自ら日本語教室に足を運び、学習者の方の生の声から明らかにしたことはとても重要なことであったと思います。地域の日本語教室に通う外国人学習者のニーズは多様であり、そこに寄り添った支援をしていくことの重要性も、私たち日本語教育を学ぶ者が共有すべき大切な点です。
2回にわたり、日本語教育ゼミの3年生のレポートの一部ではありますが、エッセンスを紹介してきました。日本語教育の学びは、「日本語の教え方の学び」だけではないということをお伝えできたのではないかと思います。身近な日本語、社会の中の日本語、コミュニティに関心を持ち、問いを持ち、自身で資料を集めてクリティカルな目で分析し、考察するということは、日本語教育を学ぶ者にとってはもちろんですが、社会を創る一市民としても身に付けておきたい力であると考えています。
(澤邉裕子)
*レポートの執筆者、内容を紹介することについては3年生の皆さんに了承を得ています。