【備忘録 思索の扉】第三回「コツのつかみ方」

以前,囲碁の話題をとりあげて,「感覚」と「コツ」について考えてみました。
その際,「感覚」とは,「膨大な情報を処理した後に身についた厚みのある力」と,
「コツ」とは,「少ない情報から最大限の効果を引き出す力」と,定義してみました。
そして,人間がAIより優れているのは後者の方で,それを大事にするのが良いと言いました。
これはもちろん,あくまで私なりの理解ですが,この理解は今も変わってはいません。
では,どうすればコツをつかめるのか,今回はそのコツ(笑)について考えたいと思います。

もう一度,感覚との違いを鮮明にする意味も含めて,別の側面から考えると,
「感覚」というのは,すでに身について,無意識の領域に達しているものであるのに対して,
「コツ」をつかむには,「意識」がポイントになるように思われます。

たとえば,今,私は中国語の授業で,学生相手にどんどん中国語で話しかけていますが,
数年前までは,日本人である私が日本人学生に中国語を使うのに,とても違和感を感じていました。
そしてなにより,何をどう話せば通じるのか,わからなかったのです。
それでも,相手の理解度や反応を意識しながら,なるべく中国語で話そうと続けていると,
どんな単語と使ってどんな風に問いかければ相手が答えやすいか,コツがつかめてきました。
私の中国語力に変化はありませんから,これはやはり相手にうまく通じさせようとする「意識」の問題です。
実際,ネイティブスピーカーにかぎって相手の理解度を測るのが難しく,
自分の言語について説明するためには相当の訓練が必要だとは,よく聞く話です。

一言で「意識」とまとめてみたものの,実はそこには様々な要素がひそんでいることに気づきます。
まず,この場合,違和感を払しょくしてまで中国語を使おうと「挑戦」しなければ,何も始まらなかったでしょう。
そして,うまくできるようになるまでには,何度も「失敗」を経験したものですし,いまだに失敗の連続です。
とはいえ,私はここで「失敗を恐れずに挑戦を」と言いたいわけではありません。
むしろ逆に,「失敗を恐れながらも挑戦を」と言うところかもしれません。
失敗したなら,どうすればうまくいくのか,を考えますし,うまくいったなら,その経験を大事にします。
しかし,失敗も成功も偶然だったかもしれず,何度か試してみることも必要でしょうし,
そもそも失敗か成功かを「判断」しなくては,次のステップに移れないでしょう。

要するに,コツをつかむ,というのは,ただ漫然と過ごしているのではなくて,
一つひとつの経験や情報に対して,いかに意識を注ぎ,色んな意味を見出すことができるか,ということだと思います。
ただ,何も意識せずに見過ごしていてもコツはつかめませんが,逆に,自分の意識にとらわれ過ぎるのも問題です。
そうなると,物事を客観的に見ようとする気持ちが失われたり,臨機応変に対応できなくなったりするからです。
これは「コツをつかんだ」というより,「癖がついた」という状態かと思われます。
現実には,これらを区別することはとても難しいのですが,バランスが大事だということも,また意識していきたいですね。

小羽田誠治 中国語・東洋史学)