【備忘録 思索の扉】第二回「歴史研究の作業場 その一」

この物語まことなりや

菅江真澄 書影三河生まれの菅江真澄という、江戸中後期に東北・道南を歩きめぐり、その土地土地の生活習俗などを書きとめた歌人がいました。この人の日記は今に残されて、『菅江真澄遊覧記』の名でよく知られ、読者も多いのではないかと思います。東北・北海道の近世史を研究分野としてきた私にとって、この人の見聞・観察記録ほど、忘れられてしまった過去のさまざまな事柄に気づかせてくれ、そこから新たな問題を発見していくのに役立った作品は他にありません。
以前、真澄のいくつもの作品のなかで一つ選ぶとすれば、『楚堵賀浜風』(外が浜風)をあげると記したことがあります。天明5年(1785)8月3日、真澄は秋田から出羽と陸奥の国境を越えて津軽に入っています。外が浜の青森湊に至り、松前へ渡ろうとしますがこのときはかなわず、同月下旬秋田に出て、さらに南部、仙台へと向かうことになります。このわずか二十日ばかりの津軽滞在の日記が『楚堵賀浜風』です。タイトルにある外が浜(外の浜)は古歌に詠まれ、日の本の果てを意味しますが、ここまで来てその先にある蝦夷が島に憧れる歌人真澄の心情が表れています。
『楚堵賀浜風』が他の日記といささか様相の異なっているのは、津軽の人々が体験した天明の飢饉(1783~84)の生々しい証言記録となっていることです。それまで歩いてきた庄内・秋田の日記には天明の飢饉の記述がほとんどみられません。目にした津軽の惨状は庄内、秋田などでは想像もできなかった衝撃であったのでしょう。実際、庄内や秋田における飢饉の程度は津軽に比べればはるかに緩やかであったのです。
天明の飢饉は東北地方の北部、太平洋側を中心に、天明3年の大凶作に始まり、翌年夏までのおよそ一年にわたって、人々を飢餓と疫病の地獄絵の状況にさらしました。おびただしい命を奪い、弘前藩や八戸藩などではおよそ領民の三分一、二分一もの人々が餓死・疫死あるいは逃亡したと伝えられ、死に絶えて人のいなくなった小集落も少なくありませんでした。江戸時代最大の災厄であったといえるでしょう。
ヤマセ(東風・北東風)がもたらす冷害型凶作がきっかけでしたが、それだけで飢饉になったのではありません。東北地方は列島経済が展開するなかで、生産した穀物(米・大豆など)を江戸、大坂方面に移出する食料供給地になっていきます。換金化の一方で凶作・飢饉への備えがおろそかとなり大規模飢饉がつくり出されたのでした。ここでは詳しくは述べませんが、一般教育の「総合コース(東北と日本)」では、こうした東北の飢饉事情をできるだけ噛み砕いて説明しようと努めてきました。
むろん、飢饉のメカニズムや構図を考えるさいに真澄の記述がそれほど役に立つわけではありません。藩・村の文書・記録や、古老たちの体験記がけっこう残っていますので、それを読んでいくことで、飢饉状況や飢饉対策の様子などがかなりの程度わかります。それでもなお、真澄の見聞・観察に価値があると思うのは、事柄の真実性といってよいでしょうか、飢えのなかの民衆の肉声が聞えてくるからです。
津軽のある村を歩いていると、草むらに人の白骨が散乱し、あるいは積み重なっていました。しゃれこうべの穴から薄、女郎花が生えている様子をみて、「あなめあなめ」と独り言していると、話しかけてくる人がいました。そして、「これはみな飢え死にした人のかばね(屍)です。卯の年(天明3年)の冬より辰(翌4年)の春まで、雪の中に斃れ死んだなかに、いまだ息のかようも多くあり、路をふさいでいました」と語り始め(以下、主要部分省略)、「ことし(天明5年)もなりわいがよくなく、けかち(飢渇)になりそうです」と泣いて、その人は立ち去っていきました。真澄はらせち(羅刹)、あすら(阿修羅)の住む国はこのようなものなのかと驚愕し、信じられない様子で「此ものがたりまことにや」と記すのでした。
飢饉は個々の身の上に起きたことですが、地域の共同体験として記憶されました。そのことへのイマジネーションが欠かせません。真澄の記述はそうした場に臨んでいるような感覚を呼び起こしてくれます。歴史学は客観的な事実を踏み外しては成り立たない学問です。とはいっても、人間や社会が描けなくてはなりません。その点において真澄の作品に出合ったことはとても幸運でした。
真澄が晩年暮らしたのは秋田の地です。その秋田の出版社から、小著『探究の人 菅江真澄』(無明舎出版、2017年4月)を刊行しました。真澄の魅力を伝えようと、その人自身について書いてきたものを集めてみました。真澄の著作はまぎれもなく北日本の生活文化の記憶(記録)遺産です。東日本大震災以後、飢饉・災害研究が主になり、真澄はやや疎遠になりかけていました。これを機に再び真澄の記述を読んでいきたいと思うようになりましたが、本学一般教育部が企画した今年度の県民大学(生涯学習講座)では、女性に関わるさまざまな記述を取り上げて解説することになっています。

菊池勇夫(日本近世史)

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