【備忘録 思索の扉】 第十三回 感覚とコツ

囲碁好きの私にとって,2017年は驚きの幕開けとなりました。
去年,世界のトップ棋士を負かしたコンピューターソフトAlphaGoの改良版が,
ネット対局場で,非公式ながら並み居るプロ棋士たちを相手に60連勝を成し遂げたのです。
しかも,この他にもトッププロレベルのコンピューターソフトが続々と誕生しており,
囲碁の世界では,人間はもうAIに敵わなくなっていると見て良いでしょう。

ところで,囲碁のAIと聞いて,皆さんはどんなイメージを持つでしょうか?
コンピューターは,言うまでもなく,計算のエキスパートですから,
人間よりはるかに正確に計算された手を打つような気がしませんか?
人間が感覚的に捉えているところを,緻密な計算でミスなく打ちのめす,というように。
ところが,興味深いことに,多くの人が指摘しているように,実際はその逆なのです。
AIは,とても計算し尽くせないほど複雑な,大局的な「感覚」の面で,特に優れているようなのです。
人間の感覚なるものは,どうやら人間の専売特許ではなかったようです。

そこでふと思ったのですが,私たちが「感覚」というとき,2種類のことを指してはいないでしょうか。
1つには,経験や訓練を重ねて,体にしみつけたもの。
もう1つには,新しいことを身につけようとするとき,理屈でなく何かを「捉える」力。
例えば,音楽家の絶対音感のような感覚は,前者に属するでしょうが,
「彼は感覚が良い」なんて言うときの感覚とは,おそらく後者を指しているのだと思われます。
やはり音楽を例に挙げると,初めて演奏する楽器で,ちゃんとした音が出せたとき,などでしょうか。
そして後者は,「コツをつかむ」なんて言う表現がぴったりくるかと思います。
この両者の区別は何でしょうか?
前者は,膨大な情報を処理した後に身についた厚みのある力である一方で,
後者は,少ない情報から最大限の効果を引き出す力ではないかと思うのです。

AIは,人間が一生かかっても処理しきれない膨大な情報を扱い,「感覚」のようなものを得たようです。
今後,人間は少ない情報から効率良く何かをつかむ「感覚」を高めることが要求されるかもしれません。
実際この力は,ますます情報過多になる現代を生きていくうえでも,大事なことでしょう。
処理しきれないほどの情報に埋もれるより,適度な情報を選び取り,活かすことができる方が,
自分を見失わずに生きていくことができると思うからです。

であれば,どのようにすればその感覚,すなわち「コツをつかむ」ことができるようになるのでしょうか?
この問いについては,別の機会にあらためて考えてみようと思います。
AIは素晴らしい感覚を持っている。それを認めて,そこからコツをつかんでいきたいと思う次第です。

小羽田誠治 中国語・東洋史学)