食品栄養学科教授 矢内 信昭

食品栄養学科の矢内信昭です。私の専門は細胞生物学という実験科学です。

 

 世界では、年間おおよそ100万報の科学論文が書かれているといわれています。ちなみに、日本からはその7〜8%が報告されているそうです。これら科学論文のうち生命科学に関するものが約6割程度といわれています。このことをイメージしてみると、ものすごい勢いで生命科学の知識が蓄積していることになります。

 時々、その膨大な量を前にすると、もう十分だと思うこともありますが、科学は知識の量ではなく、知識を得る作業を続けることに大きな意味があります。科学は時代とともにあって、常に新しい方向へ、新しい事実へと動きながら未来を目指し続ける学問です。科学者の役割は、過去に知り得た知識をたくさん蓄積して物知りになることではありません。あくまでも新たに知識を得ていくことが仕事となります。

 

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 科学の分野の一つに「実験科学」があります。実験科学は、実験事実に基づいてのみ議論を展開していく手法をとります。実験結果に対しては、無視も変更も許されません。実験科学を進めるためには、三つの要素を満足させなければなりません。ひとつは情報を得る作業、ひとつは実験を実施すること、そして結果を整理して情報を発信することの三つです。これらが、バランス良く実行されないと成立しません。たとえば、一日6時間働くとしたら、2時間勉強して、2時間実験して、2時間ノートを書くという具合でしょうか。朝から晩まで実験室にこもっているイメージがありますが、実験ばかりしている科学者は、あまり良い仕事ができません。最新の情報を取り入れ、自分の進めようとする研究の位置を確かめ、時代性を確かめ、テーマの見当識を確認しておかなければなりません。そして、研究結果を今の他の研究者たちに受け入れてもらわなければなりません。

 最新の情報を集めるのは、結構疲れる作業です。インターネットが使えるようになる前には、必要な情報を探し出すのが大変でしたが、今では、情報の数が多くて、情報を選択するのが大変です。自分の研究テーマの範囲で、どこまで情報を得たらよいのかはなかなか難しいことで、学会へ出向いて最近の人気テーマの情報を得たり、その道の専門家と直接情報交換したりすることが大変役に立ちます。幅広く、現在進行中の研究の情報が必要です。ライバルがいたりすると、ライバルの仕事で使っている情報を参考にして情報収集が楽になります。

 実験を進めるには、いわゆる人、物、金が必要です。実験者が作り出す事実だけが頼りなので、作業量としての人手がかかります。50歳を過ぎると急激に実験が不得意になります。原因は、老眼による作業性の低下と体の動きが悪いことに起因する失敗の多発です。若い人がチームを組まないと、この作業をこなすのは困難です。

実験器具を揃えることは、科学技術が進歩するにつれ、高額の研究予算が必要となってきました。新しい分野では、試薬の値段が二桁ほど違うので、新しい分野への挑戦は、先端にいくにつれ必要な研究費が指数級数的に増加します。生命科学の論文を一つ作成するために、10年前は300万円ほどといわれていましたが、現在はもしかすると500万円を越しているかもしれません。

 実験結果を発信するには、論理性と英語力が必要です。実験結果はたまたまだったり、失敗が元になっていたりしたとしても、情報を発信する際には、論理性を持たなければなりません。結果が論理的だったときは良いのですが、そうではない結果の時、実験者たちはしばしば偏屈になってしまうこともあるようです。中学、高校、大学と長い時間習った英語が最大限に生かせるのは科学の分野です。学校教育を通して習った英語は、会話には使い物になりませんが、論理的な英語を読んだり書いたりするのには最適です。科学論文には文学的表現や気の利いた英語の表現は必要とされていませんから、学校で習った英語を十分に生かして仕事に結びつけることができます。英語の新聞に比べると、英語の科学論文はとても易しい英語で書かれています。

 先ほど、科学者の良い仕事といいましたが、実験科学で良い仕事とは、その時代に即した仕事を意味します。もちろん、科学の歴史には、燦然と輝くような天才の存在をみることはできますが、天才のみでは科学は進みません。たとえば、エイズの様な新興感染症の問題を解決するためには、一人の天才が必要なのではなく、時代と問題意識を共有した大勢の研究者が群がって挑戦していることが大切で、その結果、エイズに対する治療薬が開発され、患者の死亡率が激減しました。不思議なもので、生命科学の分野で、新発見とよばれる事柄が、複数の研究者から報告されることがしばしばあります。実験科学者の研究が時代の影響を受けているためだと思います。

 2013年度から高校の生物の教科書が改訂され、新しい内容となるそうです。とても喜ばしいことです。今までの高校の生物の教科書の内容は、何十年も前の知識を元に書かれています。もちろん、真実は何十年たっても変わりませんから、これを教科書の内容とすることに間違いはありませんが、時代に即したものではありません。生物学の知識がどのような観察または実験によってもたらされたのかを記載するのは難しいようで、実験を紹介する場面もありますが、多くは結果を整理して覚えることで生命科学の理解を促そうとしているのが従来の教科書です。今までのような高校生物の教科書の書き方をしている限り、生命科学が未来志向の実験科学であることを実感することは困難です。新しい教科書の内容が次の時代を担う若者に、よりよい科学の理解を促すことができることを期待しています。

 自分の分野の論文を長いこと読んでくると、論文の中に人となりを見つけることがあります。研究テーマの持つ魅力だけではなく、実験の方法論であったり、他の研究者の仕事の引用の仕方だったり、議論の思慮深さなどに個性を発見できることがあります。ある論文が自分の研究推進の支えとなることもあります。多くの偉大な研究者の中には、優れたメンターがいることが知られています。メンターとは、優れた指導者を指す言葉で、日本語にすれば師匠ということでしょうか。弟子は師匠が時代を生きる様を観て、あるべき姿を師匠から学び次の時代へと実験科学の歴史を繋いでいくわけです。

 実験科学を志す方へ、どうか良い師匠と巡り会えますように。