心理行動科学科 准教授 友野 隆成

心理行動科学科でパーソナリティ心理学を担当しています、友野と申します。

私は今から3年前に、縁あって宮城学院にやってまいりましたが、それはちょうど今の4年生が入学した頃でした。当時はまだ入学したばかりで初々しかった彼女たちが、今はもう最高学年になり、卒業研究と就職活動(+その他諸々!?)に力を注いでいます。月日が経つのは早いなあと思いつつ、彼女たちの成長ぶりには日々驚かされています。私も負けてはいられません。ちなみに下の写真は、1枚は着任直後の私、もう1枚はつい最近の私。少しは成長(!?)したでしょうか。

さて、今回は2つの研究についてご紹介したいと思います。まずは、私がまだ大学3年生だった頃から現在まで継続して研究を行っている、「曖昧さ耐性」についてご紹介しましょう。

世の中には、はっきりしない、ぼんやりした、答えがすぐには出てこないようなことがらがあふれています。「我々人類は今後どうなっていくのか」という非常に長期的な話から、「今晩のおかずは何かなあ」という目先の話まで、曖昧さは至る所に潜んでいます。

何だか、曖昧さという言葉自体が、曖昧であるという気すらしてきます。これらの曖昧さが気になるか・気にならないか、辛いか・辛くないか、好きか・嫌いか、など、曖昧さに対する捉え方の個人差を表す概念が「曖昧さ耐性」です。

 

そもそも、なぜこのようなテーマを研究しているのかといいますと、そのきっかけは大学3年生の春休みにさかのぼります。当時、将来の進路について漠然と大学院進学を考えてはいたのですが、同級生は皆就職活動をしている、自分は特に何もやっていない、しかし、普通に就職する道を完全に閉ざしたわけではない、でも、大学院へは行ってみたい、だけど、大学院の入試は当分先だ……など、非常にモヤッとした気分を抱き、精神的に不健康な日々を過ごしていました。
そうこうしているうちに、4年生のゼミが始まり、卒業研究のテーマを決めなくてはならない時期になってしまいました。

 

「何か特定のテーマについてやりたい!」という強い希望があったわけではありませんでしたから、卒業研究のテーマ選びは難航するかと思われました。しかし、昔指導教員が担当していたパーソナリティ心理学(当時はまだ、パーソナリティ心理学という言葉は一般的ではなく、性格心理学とか人格心理学などと呼ばれていました)の授業で「曖昧さ耐性」の話が紹介されていたのを思い出し、「今の自分に必要なのはこれだ!」と、半ば性急な結論を出し、卒業研究のテーマを直感で決めてしまいました。
それがきっかけとなり、就職はせずに大学院へ進むことも自然と決まっていき、モヤッとした気分も解消されていきました。

 

その後は、「曖昧さ耐性」と精神的健康の関連性について、卒業研究から現在に至るまで、手を替え品を替え様々な角度から検証してきました。当初は自分自身の経験から、「曖昧さに耐えられない人は曖昧さを無くすよう動機づけられるから、精神的に健康」というような結果が出るだろうと思っていました。しかし、これまでに行ってきた研究では、測定しているものはそれぞれ違えども、概ね「曖昧さに耐えられない人は精神的に不健康」という逆の結果が出続けました。
その理由について色々と考えてみたところ、一つの曖昧さが解消されたとしても今度は別の曖昧さが生じてくる、結局のところは曖昧さが完全になくなるわけではないのでうまく付き合っていくしかない、だから、曖昧さに耐えられる方が精神的に健康なのだ、というところに行きつきました。

 

このように、ある程度一定の結論は出てしまいましたが、「この場合はどうだろう」「あれはまだ調べられていない」など、研究を進めていけばいくほど新たな課題が出てきますので、恐らく「曖昧さ耐性」の研究はライフワークになるだろうと考えています(細々と、という条件付きですが…)。
私は元来不器用で、狭い範囲でひとつのことをコツコツとやっていく性格ですので、これまで述べてきたように重箱の隅を突くような研究ならぬ、駅弁の蓋に付いた米粒を取るような研究を細々と継続してきたわけです。

 

しかし、今までは全く考えもしていなかった研究を新たに始めるきっかけがありました。それは、二年前に発生した東日本大震災です。ここからは、もう一つの研究をご紹介したいと思います。私が所属する心理行動科学科には、1年生の必修科目に「心理行動実践セミナー」という科目があります。この科目は、受講者を3つほどの班に分け、それぞれの班を担当する教員が設定したテーマについて、具体的な内容を議論し、実際にデータを取って分析し、あるいは作品を作成して、一般に向け発表するという非常にユニークな科目です。私はこの科目を2011年度から担当することが決まっていたのですが、何をテーマとして授業を進めていけば良いか皆目見当がつかず、あの大学3年生の時と同じようなモヤッとした気分を感じていました。もうボチボチ授業のテーマを決めなければ、という時期に、あの3.11を迎えたのです。
「心理行動実践セミナー」のテーマは、通常は各教員が自由に設定するのですが、2011年度は東日本大震災に関するものをそれぞれの班でやることになりました。

 

そこで、私が担当した班では、受講生との議論を経て「義援金」について心理学的な検討をおこなうことに決定しました。具体的には、いくつかのグループに分かれ、どのようにすれば義援金が多く集まるか議論し、その結果をもとに趣向を凝らした仕掛けを作り、大学祭で実際に義援金募集活動をおこないながらさまざまなデータを収集しました。分析の結果、義援金寄付の動機は積極的なものと消極的なものが混在していること、奇をてらう仕掛けよりもオーソドックスなやり方の方が義援金を寄付してもらいやすいことなどが分かりました。

 

このテーマは、震災直後の一過的な盛り上がりで終わらせてはいけないと考え、2012年度も継続して実施することにしました。2012年度は、2011年度に比べて積極的動機で義援金を寄付する人の割合が増えたこと、透明の募金箱の方が不透明の募金箱よりたくさん寄付されやすいことなどがわかりました。
特に、募金箱の透明・不透明に関する結果はYahoo!ニュースのトップニュースにも取り上げていただき、継続的な被災地支援活動の必要性が確認されました(写真は、実際に義援金募集活動で使われた、透明の募金箱です)。その流れを踏まえ、さらに2013年度も継続して実施することを予定しています。

 

re130524c

 「義援金」の研究は、1年生の授業の一環として行われたものですので、研究の水準としては必ずしも高くはありません。しかし、まだ心理学的な考え方に染まっていない学生たちの新鮮かつ斬新な発想が、私が今まで持っていなかった新しい引き出しを作るのに役立っています。研究にも色々なやり方があるということを、学生たちから教えてもらっています。

 

 

 

以上、徒然なるままに私の研究について述べてきましたが、「曖昧さ耐性」にしろ「義援金」にしろ、偶然の出会いの産物、つまり縁あってのものなのです。

宮城学院への着任もまた然りです。人生は、理屈ではなく、縁によって決まっていくことも多々あるのだと実感せずにはいられません。

 

皆さんにここまで読んでいただけたのも、もしかしたら何かの縁かもしれませんね。何かしらの縁を感じられた方は、いつかまたここ桜ヶ丘の地でお会いしましょう!!!