教員のリレーエッセイ:日本文学科 准教授 笠間 はるな

こんにちは。日本文学科で近代文学の授業を担当している笠間はるなと申します。授業では、明治・大正期を中心に日本の小説作品を学生と一緒に読んでいます。もともとは、大学で樋口一葉の小説を研究してきました。

さて、文学作品を「学問」として読むというのは、いったいどういうことでしょうか。日本文学の研究方法はさまざまですが、やはり、基本になるのは作品そのものを精読することだと思います。ただしそれは、高校生のみなさんが知っている読み方とはちょっと異なるでしょう。今回は授業内容の紹介を兼ねて、ごくささやかな例ですが、樋口一葉「十三夜」(明治28年)の一節を考えてみます。

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「十三夜」の舞台は明治20年代。主人公のお関は、夫・原田勇の横暴な態度に耐えかねて、実家の両親に離婚を申し出に行きます。100年以上前の作品ですが、テーマはとても現代的です。しかしその中に、よくわからないと感じるところがありました。「夫はこんなに酷い!」とお関が両親に訴えるセリフの中の、以下の部分です。

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「夫に朝ご機嫌うかがいをしたら夫はわざとらしく庭の草花を褒めた、その態度に腹が立った」とお関は訴えるのですが、離婚の訴えとしてはなんだか細かい話だな、と思いませんか?(もちろんこのあと原田のもっとひどいところは語られます。)挨拶したのに、よそ見して知らんぷりされた…といった腹立ちでしょうが、こんな些末なエピソードをわざわざ小説に書く必要があるのかと疑問でした。

その答えがわかったのは、『日本之家庭』という、女性が家庭を治めるための心得や知識を伝えることを主目的とした雑誌を読んだ時でした。雑誌のキーワードは家庭の「和楽」。つまり、和やかで楽しい、心の拠り所としての家庭をつくろう、というコンセプトです。その誌面で、家庭和楽の秘訣(?)として推奨されていたのが、庭木や植物などを整えて家族の楽しみや心の慰めにすることでした。「園芸は、(中略)家庭の和楽を増す為めにも甚だ益多し」(第一巻六号「園芸の楽しみ」)といったかんじに。

こうした考え方と、原田の発言がつながっているとしたらどうでしょう。「庭の草花を態とらしき褒め詞」は、“心安らぐ家の中の時間”を求める原田の気持ちの現れだといえないでしょうか。庭を見て心を安め妻とともに楽しく語り合うような、そんな夫婦の時間を過ごそうという思いで、原田は声をかけたのかもしれません。ただ、お関はその「庭の草花」の意味に意識が及ばず、かえって嫌味に受け取ってしまった…。

夫の機嫌を取ろうと頑張る妻と、妻との心安らぐ家庭の時間を求める夫と、互いに相手に働きかけているのですがうまく伝わっていない。「庭の草花」のエピソードは、お関には見えない原田の気持ちにも読者の目を向けさせ、噛み合わない夫婦の朝の風景への想像を豊かに喚起させます。一見ささいなところに、一葉が仕掛けた小説の仕組みがあったのですね。

このように、講義では、小説の言葉に立ち止まり、作品内外にヒントを見つけながら、その背景を考えていきます。その積み重ねから、文学作品を豊かに読み解くことができると思っています。みなさんも、普段の読書の中で、「この言葉ふしぎだな」「この一文、意味がわかるようでわからないな」といった、小さな違和感を大事にしてみてください。その「わからなさ」の中に、文学研究の芽が隠れているかもしれません。

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