日本文学科 教授 九里順子

こんにちは。日本文学科の九里順子(くのり・じゅんこ)です。専門は、近代の詩歌です。出身は、近年、「天空の城」で注目されている城下町、福井県大野市です。
大学は、教員の出身地もさまざま、研究ジャンルも多様です。昨年、学内の共同研究で『文化における〈風景〉』(翰林書房)を刊行しました。宮学は、異なる分野の人から刺激を受ける上でもいい距離感の大学です。

自分の研究は、趣味が俳句ということもあって、詩と俳句のクロスする地点とは何か、がテーマです。ジャンルを跨(また)いで、表現の底にある詩的なるものとは何だろうと。目下、木下夕爾(きのした・ゆうじ)に取り組んでいます。彼は、広島県福山市で生涯を過ごした詩人ですが、何気ない日常と向き合う心のリアリティが、深く静かに伝わってきます。詩の本質は、何気なさを支えているものにあるのではないでしょうか。

授業では、近代の、これはぜひ知ってほしいという詩人・歌人、島崎藤村、北原白秋、石川啄木などを取り上げて、時代背景、影響を受けた詩人や作品、生い立ち等々、いろいろな角度から読み込んでいます。今年度の三年生の演習(学生が調べて資料を準備し発表する授業)は、北村透谷(1868~1894)を扱っています。この写真、透谷14歳のもの。インパクト大ですね。高校の『国語便覧』にはいないかなあ。
透谷は、明治元年に生まれ、18歳で自由民権運動から離脱、20歳で結婚、文学や恋愛について近代の先駆けとなる作品や評論を書き、短い一生を激しく駆け抜けた人です。透谷の振り幅とスケールに、学生も私もクラクラしつつ、喰らい付いてます。時代を隔てて、その詩人が自分たちの前に生き生きと立ち現れる。それは、今ここに縛られない世界と出会うことです。

大学での学びを通して、隠れた世界を知り、自分を解放していってほしいと思います。