一般教育科教授 佐藤史浩

一般教育科に所属し中学校・高等学校を中心とした教職課程を担当しています。同時に国際文化学科でヨーロッパの教育に関わるゼミや卒業論文なども担当しています。

みなさんのなかにも、教師になりたいという方がたくさんいることと思います。その場合、「あの先生のようになりたい」といった、みなさんが実際に出会った先生からの影響も少なくないのではないでしょうか。ある一時期の出会いが、その人の人生に影響を及ぼすかもしれないほど教師の仕事は大きな責任を伴うものであり、同時に魅力的なものともいえましょう。

俗に、百人の人が教育について論じると百の教育論がある、と言われます。教師についても、老若男女を問わず、いろいろな人があるべき教師の姿をさまざまに論じています。

これは誰でもが教育を受けた経験があり、それをもとにその人なりの教師論を展開できるからともいえます。それほど教師という職業に対する見方は人それぞれですが、ここでは私が考える教師のあり方について、二つのことを述べたいと思います。

 

子どもに謝ることのできる先生

本学の4年生のみなさん(3週間ではありますが教育実習で実際に教師の仕事を体験してきた人たち)に教師に必要とされる資質、能力を聞いてみました。教師としての使命感、子どもに対する愛情、教科に関する専門的な知識、授業力、豊かな人間性、学び続ける力などが挙げられましたが、このなかで「子どもに対してきちんと謝ることのできる先生」という意見がありました。先生だって間違うことはあります。そのときに、相手が子どもだからといってあいまいに済ますのではなく、自分の間違いをきちんと認め謝る、このことが子どもと先生の信頼関係を強固にしていくのではないでしょうか。

 

フランスの思想家ルソーは次のように言っています。
「大人たちは子どものなかに大人を求め、大人になる前に子どもがどういうものであるかを考えない。」

 

子ども時代を経験したことのない大人は誰もいません。しかし、大人はそのことを忘れ、大人の規準で物事を考えがちです。このために教師としての使命感だけが空回りし、自分の考えを子どもたちに押しつけることになりかねません。

 

「なぜ先生は分かってくれないの!」と経験した方も多いと思います。「子どもに対してきちんと謝ることのできる先生」は、つねに子どもの目線に立って考えることのできる人だと思います。このことがあってはじめて、教師としての使命感や子どもに対する愛情も本物になるのではないでしょうか。ルソーの言葉をしっかりと噛みしめる必要があると思います。

未来の主権者を育てる先生

私はドイツの教育の歴史について、ことにワイマル共和国時代を中心に研究していますが、そのなかで出会った一人の教育者アドルフ・ライヒヴァイン(1894~1944)を紹介したいと思います。彼のなかに教師としてのひとつの生き様を見いだすからです。

 

彼はワイマル共和国時代そしてナチスの時代に生きた人です。当時世界で最も民主的と言われたワイマル憲法ですが、それまで大多数のドイツ国民にとって民主主義はまったく馴染みのないものでした。そこで彼は、まず子どもたちの教育に当たる先生たちに民主主義の精神を体得させなければならないと考え、教員養成大学の教員となり奮闘します。しかし、ナチスが独裁体制を樹立したことにより、彼は解雇されます。こうした人たちのなかには、外国に逃れる人たちも少なくありませんでした。彼にもそのチャンスはありましたが、あえてドイツに留まり、みずから進んで片田舎にある小学校の先生になります。その学校には教師は彼一人しかおらず、このためナチスの監視が比較的手薄になり、自分の信じる教育ができる余地があると考えたからです。

 

実際、彼は、国家への盲従を強いるナチスの教育政策に表面的には従いつつ、ナチス崩壊後の新しい時代を見据え、子どもたちを社会的に責任を自覚し判断力と決断力のある人間へと教育することに全力を尽くします。最後には、破滅に向かいつつあるドイツを救う道は、ヒトラーの排除しかないと確信し、ヒトラーの暗殺計画に加担し、それが未遂に終わり捕えられ処刑されます。

 

社会の大勢に流されず、自分の信念を貫き通したライヒヴァインの生き方は、教育に携わる人間のひとつの理想の姿を見る思いがします。もちろん、彼の生命をかけた生き方は誰にでもできることではありませんし、彼が生きた時代と、今の日本とは違います。しかしながら、どの時代にあっても教師は子どもたちを未来社会の担い手へと育てていかなければなりません。このためには教師は広い視野に立って、つねに社会に関心をもち、批判的に見るようにしなければなりません。教育は真空のなかで行われているわけではなく、つねに社会から、ことに政治や経済からの影響を受けながら行われているからです。

 

最近の選挙の低投票率に示されるように人々の、ことに若い人たちの選挙離れは、日本の将来にとってきわめて重大な問題です。日本でも選挙権が18歳以上に引き下げられる見通しとなっています。未来の主権者たちには政治にますます関心を持ってもらわなければなりません。これは社会全体で推し進めていかなければならない課題ですが、やはり学校がその中心的な役割を果たさなければならないでしょう。教師にはいままで以上に未来の主権者を育てるという意識をもつことが求められているといってよいでしょう。

 

そのためにも先生自身が社会で起こっている問題に関心を持ち、広い視野に立って自分の頭で考えることができなければなりません。社会の急激な変化により教師に求められるものは増加の一途をたどっていますが、未来の主権者を育てるといった誇りが、教師の大きなアイデンティティーとなるのではないでしょうか。

ベルリンの北部にあるザクセンハウゼン強制収容所跡
門扉には「働けば自由になれる」と書かれている