【もりのこどもえんだより:巻頭言】自転車(その2)

自転車(その2)

末光 眞希

ある男の子が、新しい自転車を買ってくれと母親にせがみました。自転車がまだ高かった時代の話です。買ってくれなかったらグレてやるとまで言いました。母親は父親に相談します。そのころ父親と息子は、ほとんど会話がありませんでした。ある晩、仕事から帰った父親は息子を食卓に呼びます。「お前は自転車が欲しいんだってな。これを見ろ。私の給料明細書だ。父さんは朝から晩まで身を粉にして家族のために働いている。それでも給料はこんなに低い。私もお前に自転車を買ってやりたいが、残念ながら私の今の給料では無理だ。中古自転車で我慢しろ。」こうして息子には中古自転車が買い与えられました。望んでいた新品の自転車ではありませんでしたが、しかし息子はとても喜んだのです。
このエピソードを紹介する河合隼雄さん(心理学者、故人)は、この息子が本当に欲しかったのは自転車ではなくお父さんだった、と説明します。そしてこのお父さんは、自分の姿を全部さらけ出して息子に向かい合うことによって、息子が本当に求めていたもの(=父親)を与えたというのです。ニューヨークのリハビリテーション・センターの壁に掲げられている次の言葉を思います。

大きなことを成し遂げるために力を与えてほしいと神に求めたのに、
謙遜を学ぶようにと弱さを授かった。
より偉大なことができるように健康を求めたのに、
より良きことができるようにと病弱を与えられた。
幸せになろうとして富を求めたのに
賢明であるようにと貧困を授かった。
世の人々の賞賛を得ようとして成功を求めたのに、
得意にならないようにと失敗を授かった。
人生を享楽しようとあらゆるものを求めたのに、
あらゆることを喜べるようにと生命を授かった。
求めたものは一つとして与えられなかったが、
願いはすべて聞き届けられた。
神の意に沿わぬものであるにかかわらず、
心の中の言い表せないものは、すべて叶えられた。
私はあらゆる人の中で、もっとも豊かに祝福されたのだ。

(もりのこどもえんだより11月号掲載)