こどもの涙
末光眞希
「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。」(マルコによる福音書 10:14)
長男が 2 歳 10 カ月の時、家族3人でアメリカ旅行に行きました。あるテーマパークのアトラクションで宇宙旅行の映画をやっていたので入りました。長男は興味津々で、次々と質問します。するとそのたびに、まわりのアメリカ人からシーッ!と注意されるのです。子どもの質問ぐらい大目に見ろよ!と思いましたが、アメリカは結構、子どもに厳しい社会だなと思いました。
かつての日本は子どもの天国でした。明治初期に来日したイギリスの女性旅行家イザベラ・バードは、日本各地で子どもたちがとても大切にされていることに驚いています。「私は、これほど自分の子どもをかわいがる人々をみたことがありません。いかに家が貧しくとも、彼らは自分の家庭生活を楽しんでいます。少なくとも子どもが彼らを引きつけています。また、自分の子どもだけでなく、他人の子どもにもそれなりの愛情と注意を注いでいます」と書いています。残念ながら、今の私たちはこうした余裕をすっかり失ってしまいました。
アメリカ旅行の時にまだ生まれていなかった4歳下の次男は、大きくなるまで、家族の語らいがこのアメリカ旅行に及ぶことをとても悲しんでいました。自分がその場にいなかったことを受け容れられなかったのです。そしてついに次男は「僕はあの時、おばあちゃんの家に預けられて置いて行かれた」という物語を作り出し、「そのこと」を思い出しては涙ぐむようになりました。子どもの悲しさというのは、そこまで深いものであるとあらためて知ったものです。
イエスさまがご自身のところにやってくる子どもたちをこばまれなかったのは、自分の生を完全に他者に委ね、喜びを隠さず、そして時に深い悲しみに涙する子どもたちの中に神の国をご覧になったからだと思います。
(もりのこどもえんだより7月号掲載)