卒業生に贈る言葉
学位記授与式式辞
皆さん、本日はご卒業おめでとうございます。皆さんの中には、あるいは同学年の仲間より半年遅れてのご卒業となった方が多くおられるのかも知れません。半年という時間は、皆さんにとって決して短いものではなかったことでありましょう。しかし長い人生を考えるとき、皆さんがこの半年で失ったものよりも、皆さんがこの半年に、そして何より今日この日受け取ったものの方がはるかに大きいことを、私は声を大にして申し上げたいと思います。
皆さんが卒業される宮城学院女子大学はご存知のようにミッション校です。ミッションとは「使命」です。皆さんはそれぞれミッション・使命を以てこの学び舎を巣立って行かれます。皆さんのミッションとは一体何でしょうか。私は、それはとても簡単な言葉で表わせると思っています。皆さんのミッション、それは「幸せな人生を送ること」です。
そんな自己中心的なことでよいのか。そうお思いかも知れません。しかし一人の人間の人生がその人ひとりの生で完結することは決してありません。そのことに思い至る時、「私」という個人が幸せな人生を生きることが、私と他者との幸せな関係の構築なしには不可能であることをきっとご理解いただけると思います。
この不幸な時代に幸せですか?そうお思いかも知れません。もっともな疑問です。しかし今日が不幸な時代であれば尚のこと、私たちは真剣に幸せを求め続ける義務があります。今日の日本を不幸にしているものの一つに「自己責任」という時代精神があります。自己責任とは、成功したのは自分が努力したからと考えることです。うまく行かなかったのは、自分が頑張らなかったからと考えることです。コロナに感染したのは、自分が注意を怠ったからと考えることです。みな、いつも正しいとは限りません。本当は全然努力しなかったのに、うまく行くことがあるのです。どんなに努力しても失敗することもあるのです。どんなに注意していても、コロナに感染することがあるのです。自己責任という言葉は、私たちを不幸にします。すべてを自己責任で済ませること、それは自分で自分を支えようとする試みです。そしてそれは神によって造られた私たちにとって、原理的に不可能な試みです。ですから私たちはこの言葉によって不幸になるのです。
幸せな人生を送るための一つのヒントを、「幸せ」を意味する英語happinessが教えてくれます。happinessあるいはその形容詞happyに含まれるhapという音は、何か予期せぬことが起こる時の音です。動詞happenや名詞happeningのhapと同じです。「幸せ」は「出来事」なのです。そしてその「出来事」は神さまの「恵み」として起こる、と聖書は私たちに教えます。神さまの恵みの出来事としての幸せは、しかし、いつも私たちの望む形で起こるとは限りません。けれど、そのことを知ることで、私たちはさらに一歩、本当の幸せに近づくことができるのです。今日は、ニューヨークのリハビリテーション・センターの壁に掲げられている、名もない一人の詩人の書いた一篇の詩を皆さんにお贈りし、そのような人生を生きることの幸せをごいっしょに味わいたいと思います。
大きなことを成し遂げるために力を与えてほしいと神に求めたのに、
謙遜を学ぶようにと弱さを授かった。
より偉大なことができるように健康を求めたのに、
より良きことができるようにと病弱を与えられた。
幸せになろうとして富を求めたのに
賢明であるようにと貧困を授かった。
世の人々の賞賛を得ようとして成功を求めたのに、
得意にならないようにと失敗を授かった。
人生を享楽しようとあらゆるものを求めたのに、
あらゆることを喜べるようにと生命を授かった。
求めたものは一つとして与えられなかったが、
願いはすべて聞き届けられた。
神の意に沿わぬものであるにかかわらず、
心の中の言い表せないものは、すべて叶えられた。
私はあらゆる人の中で、もっとも豊かに祝福されたのだ。
「求めたものは一つとして与えられなかったが、願いはすべて聞き届けられた。」 これが、私たちが持つことができる最後の幸せです。もう一度申し上げます。皆さんのミッションは「幸せな人生を送ること」です。このことを心から願いまして、学長から皆さんへの卒業のはなむけの言葉といたします。
本日は本当にご卒業、おめでとうございます。
2021年9月29日
宮城学院女子大学
学長 末光 眞希