本日ここに、晴れて入学式を迎えられた皆さん、そして大学院に進学した皆さん、おめでとうございます。皆さんの新しい人生が、この宮城学院女子大学で始まることを教職員一同を代表して、心より歓迎いたします。また保護者の方々におかれましても、お嬢様が大学生や大学院生となった姿をご覧になられて感慨もひとしおのことだと拝察いたします。改めてお祝いの言葉を申し上げます。
新入生の皆さんも、これまで無事に生きてくることができたことを神様に感謝すると共に、たくさんの愛情を注いでくれた保護者や家族の方々に、この晴れやかな入学式の日に感謝の言葉を伝えていただきたいと思います。それこそが新しい人生の門出にふさわしい言葉になると思います。
私はいま、学長としてみなさんに入学許可の宣言をしました。これにどういう意味があるのか、最初にお伝えしておきます。
大学は義務教育ではありません。小学校や中学校の義務教育は国民の全てに学ぶ機会を保障しています。そのため公立の小学校や中学校の場合、入学を許可するのではなく、すべての生徒を受け入れることが義務だとされています。しかし高校や大学は義務教育ではありません。義務教育を終えて、さらに学ぼうとする意欲をもつ人のためにつくられた教育機関です。「学ぶ意欲のある人」、つまりみずからの教養と学識を高める意欲のある人たちに開かれた大学だということです。
したがって、「入学を許可する」という入学許可宣言は、本学がみなさんの学びの意欲を受けとめ、みなさんに学びの場を提供する、ということの約束だということになります。
みなさんはみずからの意思で大学に進学することを選択したわけですので、その学びの姿勢は受け身であってはなりません。みずから学ぶということは、学ぶべきことを自分で選択していくということでもあります。
みなさんは、みずから学びたい分野を選択して入学してきました。四学部九学科というのは学問分野の違いであり、学ぶべき内容の違いでもあります。みなさんが学部学科を選択したときに、学ぶべき内容についてはおおよそのイメージができていたと思いますが、これから授業科目を選択していくなかで、それぞれの分野がさらに細分化されていることに気がつくと思います。
学問というのは、突き詰めていけばいくほど、学べば学ぶほど、細分化され、井戸が深くなっていきます。それだけに注意力を深め、学ぶ意欲を持続させなければなりませんし、そのためには強い意思が必要です。四年間、めげることなく学びの意欲を保ち続けることができるよう、みずからの学びの目標をしっかりと設定してください。
ただし、一年生のときから専門分野の授業科目をたくさん選ぶということではありません。大学の教育の目的には、自分が選んだ専門分野の専門性を高めさせるということがありますが、それだけではありません。教養のある人格の形成というのも、大学教育の大きな目標となっています。
では教養とは何かということですが、あの人には教養がありますね、というときの教養とは、いろんなことを良く知っているという意味で使われることが多いようです。いろんなことを良く知っているということは、とても良いことです。しかし教養という言葉にもう少しこだわってみると、別な側面も浮かびあがってきます。
日本語の教養という言葉は、英語では “culture” です。私たちは“culture”といえば「文化」だと理解します。しかし「文化」というのは、いくつもある“culture”の訳語のなかの一つにすぎません。英語の辞書を見ると、“culture”の項目には、「文化」と「教養」という訳語のほかに、「精神の修養」とか「植物の栽培や動物の養殖」などもあります。そしてじつは、英語の“culture”の元になっているラテン語の“cultura”の意味は「耕作」、つまり耕すことなのだそうです。それは「精神を耕す」という意味にもなっています。
とすると、“culture”、すなわち文化とは、「耕すことや育てること」であるとともに、「耕し育てることによってつくり出されたもの」のことをさす、ということになります。
これを私たち人間自身に当てはめてみると、人間を耕すことによって生み出されてくるものとしての“culture”、それが教養だということになります。人間を耕すとは人間の精神を耕すこと、人の心を耕すこと、にほかなりません。それが教養という日本語に込められた原義だということです。
そうしますと、教養という言葉には、たんに知識があるということではなく、学問や芸術などの活動をとおして、みずからを耕すこと、その結果として、心の豊かさを生み出し、それがものごとに対する深い理解力や洞察力を培うこことになる、という意味が含まれているということになります。
みなさんがこれからの大学生活で身につけていくべきことは、そのような意味での教養ということであります。みなさんが選択した専門分野の学びは、もちろんみずからを耕す行為にほかなりませんが、専門分野以外の学びにも幅を広げていくことで、みなさんみずからが豊穣な大地、豊かな人間へと生まれ変わっていくことになると思います。
そして大学が用意した学びだけではなく、皆さん自身がみずからを耕すための多くの学びを、大学の内外に求めていっていただきたいと思います。大学の提供する学びと、みなさんみずからの学びが結びつくことによって、皆さんの人格形成と教養形成が豊かなものになっていきます。みなさんが積極的に学びの世界で活動することを期待しています。
いま学びが自分を豊かにすることになると言いましたが、いわゆる勉強や研究だけが学びではありません。大学は学問をするところ、勉強をするところでありますが、幅広く学生生活を楽しむところでもあります。クラブ活動に打ち込み、ボランティア活動にも参加し、多くの友人と出会い、友情を育むと共に、切磋琢磨する場所でもあります。
みなさんは一人一人、顔も、姿、形も違います。宮城学院というこのキャンパスで出会ったみなさんが、ここでふれ合い、磨き合うことで、これから一皮も二皮もむけていきます。それが切磋琢磨ということです。この切磋琢磨が人間としての力をつちかっていきます。青春を謳歌し、人間としての力を高めていく場所として、この大学を生かしていってください。
最後に、もう一つお願いがあります。宮城学院は今年で創立一三二年になります。明治一九年、西暦一八八六年の創立以来、宮城県のみならず東北の最も著名な高等女子教育機関として評価され、多くの優秀な卒業生を送り出してきました。スクール・モットーは「神を畏れ、隣人を愛する」であります。このスクール・モットーのもとで、宮城学院の伝統とカラーがつくりだされてきました。
先ほど教養とは、みずからを耕し、つくり出していくものだという話をしましたが、宮城学院としてのカルチャーも一三二年の歳月のなかでつくり出されてきました。これを継承するのはみなさんです。そして宮城学院のこれからの評判をつくっていくのもみなさんです。みなさんは世の中から宮城学院女子大学の学生として、常に注目されています。良いことも、そうでないことも宮城学院の評判となります。
みなさんがこの宮城学院で良く学び、良き学生生活をおくり、そして学外においても、良識のある良き社会人として振る舞っていくことは、結果として宮城学院の教育や学風のあり方として評価されることになります。みなさんが、「やはり宮城学院の学生さんですね」と讃えられる、思いやりと礼節をわきまえた学生となりますことを心より期待し、私からの式辞といたします。
本日は御入学、おめでとうございました。
2018年4月4日
宮城学院女子大学
学長 平川 新
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