【大学礼拝説教】床を担いで歩きなさい

2022年6月24日 大学礼拝
ヨハネによる福音書 5章1-9節

その後、ユダヤ人の祭りがあったので、イエスはエルサレムに上られた。エルサレムには羊の門の傍らに、ヘブライ語で「ベトザタ」と呼ばれる池があり、そこには五つの回廊があった。この回廊には、病気の人、目の見えない人、足の不自由な人、体の麻痺した人などが、大勢横たわっていた。さて、そこに三十八年も病気で苦しんでいる人がいた。イエスは、その人が横たわっているのを見、また、もう長い間病気であるのを知って、「良くなりたいか」と言われた。病人は答えた。「主よ、水が動くとき、わたしを池の中に入れてくれる人がいないのです。わたしが行くうちに、ほかの人が先に降りて行くのです。」イエスは言われた。「起き上がりなさい。床を担いで歩きなさい。」すると、その人はすぐに良くなって、床を担いで歩きだした。

 
エルサレム神殿の北の端にベトザタの池と呼ばれる池がありました。正方形の池が二つ、南北に隣り合っており、上から見ると漢字の「日」、日本の「日」ですね、その形をしていました。北の池、南の池それぞれは回廊、つまり屋根の付いた廊下に囲まれていました。北の池は少し高いところにあり、南の池に向かって水路を通って水が流れることがあったようです。これを聖書では「水が動く」と書き記しています。回廊には病気の人、目の見えない人、足の不自由な人、体の麻痺した人など、身体にハンディを持った人たちが大勢横たわっていました。新約聖書の212頁を開くと、頁の一番最後に注釈があり、「彼らは、水が動くのを待っていた。それは、主の使いがときどき池に降りて来て、水が動くことがあり、水が動いたとき、真っ先に水に入る者は、どんな病気にかかっていても、いやされたからである」と書いてあります。この注釈は「写本によってはこう書かれているものもありますよ」という意味なのですが、この注釈を踏まえると今日の物語がよくわかります。つまりベトザタの池には「池の水が動くとき、誰よりも先に池に入ったら病気が治る」という言い伝えがあったということです。回廊には、この池の水が動いた時に我先に水に入り、そして病気を治してもらおうと待っている人たちが座っていました。
 
そんな人々の中に、38年間、ここに座り続けてきた病気の人がいました。聖書は男の人とも女の人とも記さないので、ここでは女性だったとしましょう。主イエスは彼女のところに行って尋ねます。「良くなりたいか」。38年間、病気を治そうとずっと池の縁に座ってきた人です。良くなりたいと思わない訳がない――と、普通は思います。しかしイエス様は敢えてその人に「良くなりたいか」とお尋ねになりました。そして彼女は、「主よ、水が動くとき、わたしを池の中に入れてくれる人がいないのです。わたしが行くうちに、ほかの人が先に降りて行くのです」と答えました。
 
先日、テレビの地上波で「ショーシャンクの空に」という映画を放映していました。ご覧になった人、いますか?いい映画ですね。無実の罪で刑務所に入れられた男アンディが16年の準備期間をかけて脱獄に成功し、自由を勝ち取るという物語です。刑務所仲間のブルックスという老人が出てきます。彼は50年の歳月を刑務所で過ごしてきた一番の古株で、そのまじめな態度から刑務所内の図書室の係員を任されていました。そしてある日、その彼に仮釈放が許可されます。しかし彼は出所したくないという気持ちから、なんと仲間にナイフを振り回してしまうのです。同じく古参の、レッドという囚人仲間が呟きます。「ブルックスはここでは教養ある男として大事にされている。だが、外に出たらただの年老いた元服役因だ。」そして刑務所を取り囲む塀を指さし、「俺たちはあの塀を、最初は憎み、やがて慣れ、最後に頼るようになる」と呟きます。ブルックスは、今日の聖書に記された出来事になぞらえれば、「塀の外に出たいのか」との問い対して「はい」と答えることが出来なかったのです。
 
ベトザタの池の傍(はた)に38年間座り続けた彼女もまた、ブルックス状態にあったのかも知れません。彼女は「良くなりたいか」との主イエスの問いに対し、「はい、良くなりたいです」と即答することができませんでした。病気を治すという本来の希望を忘れ、自分の病気がなぜ良くならないか、その理由をひたすら数えながら日々過ごしていました。主の問いかけに彼女は答えます。「主よ、水が動くとき、わたしを池の中に入れてくれる人がいないのです。わたしが行くうちに、ほかの人が先に降りて行くのです。」
 
彼女の病気が治らない理由。それは自分の不幸な環境でした。自分にはサポートしてくれる人がいない。自分はみんなのように早く動けない。すべて本当のことでした。「ベトザタ」とは「慈しみの家」という意味だそうです。しかしこのベトザタの池を囲む回廊にあったのは、冷酷な競争社会でした。病が癒されるためには一定の財力が必要でした。また、とても皮肉なことに、一定の体力さえ必要だったのです。
 
彼女の惨めな境遇を主はよくご存知でした。よくご存知の上で、しかし主は、「良くなりたいか」とお尋ねになりました。たとえ<境遇>がどれだけ惨めであろうとも、主は、まずもって彼女の主体性をお尋ねになるのでした。「はい、なおりたいのです。主よ、私を治して下さい」そう口に出して願うことを、主は望まれたのです。
 
しかし彼女は、主の期待に応えることが出来ませんでした。言い訳しかできませんでした。けれどそんな彼女に主は力強くおっしゃいました。「起き上がりなさい。床(とこ)を担いで歩きなさい。」彼女にとって<床>とは彼女の惨めな<環境>の象徴です。そしてそれは囚人たちにとっての刑務所の<塀>と同じく、「最初は憎み、やがて慣れ、最後には頼るよう」な存在になっていたと思われます。その<床>を担いで歩きなさい、と主イエスは言われました。ここで注意したいのは、主はけっして「床を投げ捨てて歩きなさい」とは言っていないということです。私たちの惨めな<環境>は、そうたやすく消え去るものではありません。これからも私たちと共にあることでしょう。しかしこれからは、その<環境>をただ憎むのではなく、かと言って慣れるのでもなく、まして頼るのでもなく、「担いで歩きなさい」と主は私たちにお命じになるのです。
 
宮城学院が街中の東三番丁からこの桜ヶ丘の地に引っ越してきて42年が経ちました。他大学がJRに駅を持ち、街中に新しいキャンパスを建てる時代に、こんな交通の不便な桜ヶ丘キャンパスには魅力が薄い、という声が聞かれます。私も学長として赴任するまでは、そう思っていました。しかしこのキャンパスにおいてミツバチたちが完全無農薬のハチミツを自然の恵みとして私たちに与え、そのミツバチたちに受粉を助けられた花々が四季折々咲き誇るのを見る時、ちょっと不便なこのキャンパスこそが私たちの<床>であることを知るのです。私たちはもちろん少しでも通学を便利にするための努力を継続しますけれど、一方で、この豊かな自然に恵まれたキャンパスこそSDGsとカーボンニュートラルの時代にもっとも相応しいことを誇りとし、その魅力をもっとキャンパスの外に発信して行く必要があると気付かされます。それが、私たちがこの宮城学院において<床>を担いで歩き出すことの一つの形であろうと思います。
 
「床を担いで歩く」ことは容易なことではありません。それは「床を担ぎなさい!」とお命じになるお方、主イエスが私たちと共におられるからこそ可能となることです。もし今イエス様がお出でになり「宮城学院よ、もっと良い大学になりたいか!」と聞かれたら「はい!」と即答したいと思います。