2020年度入学式 学長式辞
新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます。
新型コロナのため、今年も私たちは、本来4月に行うべきだった入学式を3カ月遅れで執り行うことになりました。しかも皆さんはこのキャンパスですでにひと月学んでいます。「晴れて入学式」、という気持ちの昂りを本日抱くのは、あるいは難しいことかも知れません。しかしそれでも私たちは、135年間、礼拝として毎年守られてきた本学の入学式を、今年も「心を高く上げて※」行いたいと思います。「青春の大切な4年間あるいは2年間を過す学び舎として、皆さんは宮城学院女子大学を選ばれた。私たち宮城学院女子大学は皆さんをお迎えした。」――ここに集う全員は、今そのような「出会いの場」に座っています。本学はそのような出会いを重ねながら、その135年の歩みを刻んできたのです。
※讃美歌21-18番
皆さんが宮城学院女子大学で過ごす歳月は、長い人生から見れば短いものです。本学で得る知識も、あるいは限られたものでありましょう。しかし皆さんはこの宮城学院女子大学で、知識ではなく知恵を、そして何より「人生の基本」を学ぶことになります。皆さんは高校まで、必ず答えがある問題を解いて来ました。しかし皆さんが本学で解く問題は、答えがあるかどうかわからない問題、あるいは答えが一つとは限らない問題です。私たちは今、大震災、異常気象、地球温暖化、新型コロナといった千年に一度、あるいは百年に一度の大災害が毎年のように起こる時代に生きています。次に何が起こるか分かりません。そのような時代を私たちは生き抜いて行かなくてはなりません。
次に何が来るか分からないのは災害だけではありません。DX、GIGAスクール、AIと、デジタル技術の進歩は私たちの想像をはるかに超えています。人工知能AIはすでに見えない形で私たちの生活に入り込んでいます。その影響力はこれからもっと顕在化することでしょう。しかしそれは良いことばかりではありません。AIを侮ってはいけません。高度な知識がないと解けない問題、しかし答えが必ずある問題に関して、人間はもはやAIに勝てないのです。膨大かつ高度の知識を必要とする資格系の仕事は、これからどんどんAIに置き換わっていくことでしょう。
この不確実な時代を生き抜くには、一体どうすればよいか、答えはただ一つです。答えがあるかどうか分からない問題にチャレンジする人間になるのです。そしてそのためには他人(ひと)からの問いを「待つ」のではなく、自分の問いを「持つ」人、そして他人(ひと)に言われたから学ぶのではなく、「自分の事」としてすべてを学ぶ人にならなければなりません。何より、実際に体を動かして色々やってみることが大切です。挑戦しましょう。そして失敗しましょう。宮城学院女子大学のキャンパスは、皆さんが「実り豊かな失敗」をするためにあるのです。
皆さんの中には、あるいは本来の志叶わぬ中で本学への入学を決めた方がいるかも知れません。しかし大切なことは入ることの難しさではなく、入ってからの学びです。私は今年から「くらしの中の数学」と言う3年生の教養科目を担当しています。数学の授業にも関わらず、7学科の学生が履修してくれているのですが、一番人数が多い学科が何と日本文学科なのです。なぜ数学を?と聞きますと、元々数学が好きだった、ここで履修しなかったら数学を一生学べないと思った、と言います。私は、本学の学生たちが自分の知的好奇心に素直であることに感動しています。そしてそのような知的好奇心は、3年生・4年生まで教養科目の履修を求める本学の教養教育/リベラル・アーツ教育の賜物であると思っています。本学では、高学年になれば全員がゼミナールに属し、学びの実践を行います。ボランティア活動も盛んです。まだまだジェンダーバイアスが強い日本において、女性のための大学で、ジェンダー役割から自由に、様々なことにチャレンジできることの意義はとても大きいと思います。
女子大学が存在することの、もう一つの、そしてより本質的な意味を、コロナ禍が教えてくれました。<弱さ>の大切さです。今から一年少し前、封鎖された武漢の街中で作家方方(ファンファン)さんは「武漢日記」を著し、「一つの国家が文明的かどうかを計る尺度はたった一つ。それは、その国の弱者に対する態度なのです」と書きました。ハーバード大学のドナ・ヒックス教授は人間一人ひとりが持つ「個の尊厳」を、「生きとし生けるもの全てが持つ価値と傷つきやすさ」と定義しました。文明の尺度としての弱者、個の尊厳としての傷つきやすさ――こうした人間存在の根源的に気付いた二人が、ともに女性であったことは、けっして偶然ではありません。女性は<弱さ>への感受性を通して、人間を深く洞察することができるのです。これこそが女子大学が今日存在することの本質的意味だと思います。
本学が今から135年前、宮城女学校として女性のための学び舎として建てられたのも、当時の日本女性たちが今よりはるかに弱い存在だったからでした。アメリカから派遣された宣教師団の女性たちは「日本には女子の学校が必要です、女子に、人は神の前に平等であることを教えるべきです」と本国に手紙を書き送り、この祈りが聞かれて献金が集められ、日本人キリスト者押川方義に託されて仙台に女学校が開かれました。宮城学院の前身、宮城女学校です。1886年・明治19年のことでした。昨年NHK・BSプレミアムで連続テレビ小説「はね駒」が再放送されましたが、その舞台となった東北女学校はこの宮城女学校がモデルです。
本学のスクールモットーは「神を畏れ、隣人を愛する」です。私が申し上げてきた<弱さ>とは、肉体や精神の<弱さ>のことではありません。まさにこの「神を畏れる」ことによる<神の前の弱さ>のことです。イエス・キリストの使徒パウロは、ギリシャのコリントという町の教会に宛てた手紙の中で、自分がイエス・キリストから受け取った言葉を次のように書き記しています。「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮される。(中略)わたしは弱いときにこそ強い。」※女性の本当の「強さ」が、ここに示されています。
※コリントの信徒への手紙Ⅱ 12章9-10節
皆さんの大学生活が、卒業・就職にいたるまで、豊かに神様の守りのうちにあることをお祈りいたしまして、学長からの式辞といたします。
本日は、ご入学、おめでとうございました。
2021年6月26日
宮城学院女子大学
学長 末光 眞希