【連載】歌川芳藤「膝の上猫の寿古六」(東京都中央図書館蔵)を読む 其の21
深 澤 昌 夫(日本文学科 教授)

「だいぶ(でえぶ)毛がきれいになってきた」
玉は鏡を見ながら、けっこう自分もイケてるんじゃないかと思っているらしい(笑)
昔は、若い娘や男の子が鏡を気にし始めたり、髪型や化粧に興味を持ち始めたりすると、「この子も色気づいてきた」などと言って、からかったりすることもあった。
こうした物言いは、昨今、時代の移り変わりの中であまり聞かれなくなってきたが(何より言われる側が嫌がるので)、この場面や一コマ前の「行水」は、まさに猫の玉が異性に関心を持ち始める時期、つまり青年期に入ったことを物語るものであり、この双六はそれじたいを当然の成長の過程として肯定的に描いている。
何しろ、猫は「恋をする生き物」なのだから。
日本の文化、日本の文学の中では、動物たちも恋をする。あるいは、切ない声で配偶者を求め、人々に何事かを思わせるものが多い。
たとえば鹿。鹿は季節繁殖動物で、秋に鳴く鹿の声は『万葉集』以来、しみじみと哀れを誘う「妻を恋う声」「求愛の声」として古歌に詠まれてきた。
あるいは雉。春に鳴く雉の声は、これまた『万葉』以来、鹿と並んで「妻恋の声」とされてきた。
猫もまた春に発情期を迎え、メスがパートナーを求めてうるさいほどに騒ぎ立てる。
が、猫は、鹿や雉と違って、和歌に詠まれることはほとんどなかった。その鳴き声は、どちらかというと、卑俗で騒々しく、「哀れ」というより「狂気・狂態」を感じさせるところがあったからであろう。
文学史上、「猫」はついに歌語に編入されることはなかったが、卑俗と諧謔を尊ぶ近世の俳諧文芸はこれを自らのボキャブラリに取り込んだ。
かくして「猫の恋」は春の季語となったのである。
<其の22へ続く>
