卒業生からのメッセージ -教員編-

日本文学科を卒業後宮城学院女子大学大学院に進学し、現在、東京都の学校にて教鞭を執る卒業生(鈴木小織さん)よりメッセージが届きました。
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私は今、東京都の中等教育学校に勤務しています。中学1年生から高校3年生までの6学年が在籍しており、私はその中で中学1年生の国語を担当しています。

4月当初、これまで高校生を教えることが多かった私にとって、中学生、それも1年生を教えるということは正直、戸惑いの連続でした。自分から望んで教師という道を選んでおきながら何を消極的なとお叱りを受けてしまいそうですが、取り扱ったことのない教材、評価方法、発達段階などの要素は私を不安にさせるには充分でした。しかし、周りの先生方の親身で温かなご助言とご指導、生徒たちの素直さ、明るさ、向上心に支えられ、少しずつ気持ちが和らぎ、徐々に中学1年生を受け持つことの意義を考えられるようになりました。

CIMG1988高校生になった時、どのような技能、思考力、学習習慣が身についていて欲しいかを考えた時、中学3年間をいかに積み重ねていくかが鍵になります。1年生はまさにその基盤です。吸収力も学習意欲も高い1年次段階で、自分がどのように彼らを導き、サポートしていけるかを考えると、程よい緊張感とともに背筋が伸びるのを感じました。彼らの重要な時期に関われることに感謝し、さらに精進していかねばと思いを新たにしたのです。

また、生徒たちと接していく中で、「教える」ということについても考えるようになりました。これは中学生、高校生に限らず感じたことですが、彼らに何かを「教えよう」とすると大概うまくいきません。ここには「自分が教えてあげなければならない」というやや傲慢な考えが前提としてあるのかもしれません。「良いことを言おう」「うまく説明しよう」とすればするほど生徒とは距離ができていきます。「良いこと」かどうかは聴いた側が判断することです。教師の独りよがりの説明は彼らの頭には入らない場合が多く、クラスメートの飾らない率直な意見を聴いたほうがすんなりと納得がいくというケースも多々見られます。実際、私自身も生徒の意見を聴いてはっとさせられることがあります。

そのような時、「共に学ぶ」という前提を忘れてはいけないと気づかされるのです。そして、「良いこと」ではなく、自分が「伝えたいこと」は何かを考え、誠実に投げかけてみることが大事であり、その言葉はまっすぐに彼らに届き、受け止めてもらえるようになります。

以前、「研究職ではなくなぜ教職なのか」と問いをいただいた時があります。その時私は、「自分の得た学びを誰かと共有し、またそこから新たな学びを得たいからです。」と答えました。そしてさらに、これからの未来を担う子どもたちに寄り添い、少しでもその手助けが出来る教師という仕事の尊さに希望を見出したことも今の私の糧になっています。

これからもその初心を忘れず、誠実に生徒たちと向き合い、彼らの成長を見守りながら、自分自身も共に成長し学んでいきたいと思います。