キになる言の葉 ミになる話 ―2022近代文学ゼミ「まほろば幻視行」道中記 -その1- ―

キになる言の葉 ミになる話

 2022近代文学ゼミ「まほろば幻視行」道中記 -その1-

千 葉 幸 一 郎(日本文学科 教授)

「ミになる話」かどうか甚だ心もとないが、昨年の8月末におこなった近代文学ゼミの研修旅行を数回にわたって報告したい。いささか(かなり?)旧聞に属するが、ご寛恕いただきたい。

近代文学ゼミの有志11名(+引率の筆者)は、8月28日〜31日の3泊4日で奈良へ研修旅行に出かけた。ツアーは名付けて「まほろば幻視行」。
「まほろば」とは『日本国語大辞典』によれば「すぐれたよい所。ひいでた国土」のことである。『古事記』の中で倭建命(やまとたけるのみこと)が歌った「夜麻登波 久爾能麻本呂婆 多多那豆久 阿袁加岐 夜麻碁母禮流 夜麻登志宇流波斯 (大和は 国のまほろば 畳なづく 青垣 山籠れる 大和しうるはし)」という歌によって、大和(やまと。今の奈良県にあたる地域)を指す言葉として使われることが多い。また、「幻視行」は、江戸川乱歩賞を受賞した井沢元彦のデビュー作『猿丸幻視行』(1980年)にちなむ。國學院に在学中の若き折口信夫が探偵として活躍する歴史ミステリーであり、日本史と推理小説とが大好きだった中学時代の筆者の愛読書であった。

なお、研修先に奈良を選んだのは、筆者が仙台高等専門学校に勤務していた2016、17年度の2年間「高専・両技科大間教員交流制度」を利用して奈良工業高等専門学校(大和郡山市)に出向したため、奈良に土地勘があるからである。山本健吉が『大和山河抄』(人文書院、昭和37)の「あとがき」で「大和について本当に書こうとするなら、大和に一、二年、国内留学をすべきであろう」と書いていたので、それを実践したのだった。

さて、8月28日(日)午前、一行は雨の仙台空港を飛び立ち(写真1。懐メロ好きの筆者の脳内では、テレサ・テンの「空港」が繰り返し流れていたのであった……)、昼過ぎに大阪空港(伊丹)に着いた。こちらの天気は曇り。各々空港内で昼食をとり、14時35分発のリムジンバスで一路奈良を目指す。終着のJR奈良駅前についたのは16時ごろ。雲の合間からお天道様も見えた。さっそく到着を記念してJR奈良駅をバックにパチリ(写真2)。

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そのまま駅前のホテルにチェックインし、17時半から希望者とともに夕方の奈良を散策した。三条通を東上し、まず率川(いさがわ)神社へ(写真3)。この神社は毎年6月17日に行われる三枝祭(さいくさのまつり/別名ゆり祭り)で知られる。三島由紀夫は割腹自殺を遂げる4年前の昭和41(1966)年にこの祭を取材し、最後の長篇小説『豊饒の海』の第二部『奔馬』(新潮社、昭和44)の中で次のように記した。

 

拝殿では、四人の巫女の杉の舞がはじまつた。いづれも美しい乙女で、頭に杉の葉を巻き、黒髪を金の水引で紅白の紙に束ね、浅い朱いろの袴に、銀の稲の葉の文様の白い紗の浄衣の裾を引き、襟元は紅白六重ねに合わせてゐる。

 乙女たちは、鼈甲色の蕊をさし出した、直立し、ひらけ、はじける百合の花々のかげから立ち現はれ、手に手に百合の花束を握つてゐる。(中略)そして鋭く風を切るうちに百合は徐々にしなだれて、楽も舞も実になごやかで優雅であるのに、あたかも手の百合だけが残酷に弄ばれてゐるやうに見えた。

 ……見ているうちに、本多は次第に酔つたやうになつた。これほど美しい神事は見たことがなかつた。(『決定版三島由紀夫全集13』新潮社、2001。446〜447頁)

 

美しい巫女が舞ううちに、手にしている百合の花が無残にもしなだれていく。滅びる姿に美を見出す三島の感性が見事に表現された名文である。筆者も在寧(寧楽に滞在する、つまり奈良に住むこと)中に一度だけ祭を見学したが、その美しい姿を華麗に彫琢する三島の筆に賛嘆するばかりである。

率川神社を後にした一行は再び三条通を東上し、猿沢池に着いた。歌人であり書家としても著名な会津八一は、『大和物語』などに見える采女伝説を踏まえ、池畔にて「わぎもこ が きぬかけやなぎ み まく ほり いけ を めぐりぬ かさ さし ながら」と詠んでいる。また、『宇治拾遺物語』巻十一「蔵人得業猿沢池龍事」を題材とする芥川龍之介の短編小説「龍」(『中央公論』大正8・5)も、ここが舞台となっている。
蔵人得業恵印という法師がいたずらで池のほとりに「三月三日にこの池より龍昇らんずるなり」と書いた建札を立てたところ、その日になって

 

恵印がそこへ来てから、やがて半日もすぎた時分、まるで線香の煙のやうな一すぢの雲が中空にたなびいたと思ひますと、見る間にそれが大きくなつて、今までのどかに晴れてゐた空が、俄にうす暗く変りました。その途端に一陣の風がさつと、猿沢の池に落ちて(中略)天を傾けてまつ白にどつと雨が降り出したではございませんか。のみならず神鳴も急に凄じく鳴りはためいて、絶えず稲妻が梭のやうに飛びちがふのでございます。それが一度鉤の手に群る雲を引つ裂いて、余る勢に池の水を柱の如く捲き起したやうでございましたが、恵印の眼にはその刹那、その水煙と雲との間に、金色の爪を閃かせて一文字に空へ昇つて行く十丈あまりの黒龍が、朦朧として映りました。が、それは瞬く暇で、後は唯風雨の中に、池をめぐつた桜の花がまつ暗な空へ飛ぶのばかり見えたと申す事でございます(『芥川龍之介全集 第四巻』岩波書店、1996。253頁)

 

『宇治拾遺物語』では「その月のその日」とされていた龍の昇天の日が、「龍」では「三月三日」に変えられたことで、原典にはない「池をめぐつた桜の花がまつ暗な空へ飛ぶのばかり見えた」という美的表現が添えられる。こういったところに、芥川の芸術観・センスがほの見える。
残念ながら当日は天気が急変せず、龍の昇天を見ることは叶わなかった。今度はぜひ3月3日に来てみたい。
その後、猿沢池をぐるっと廻り、通称五十二段を上って興福寺へ。室町時代に建てられたという五重塔は南都のシンボルである(写真4)。

夜も更けてきたので、一行はそのままホテル方面へ戻った。明日の「山の辺の道」散策に備えて早めに休むつもりであったが……旅人たちの行方は誰も知らない。(つづく)

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その2へ続く

(付記)
本当は旅行後すぐHPに掲載してもらうつもりでいたのですが、筆者の怠慢によってこの時期になってしまいました。誠に申し訳ありません。

近代文学ゼミ4年生の皆さん、ご卒業おめでとうございます。参加者も、残念ながら参加できなかった方々も、各々の「まほろば」を求めて人生という旅を楽しんでください!