河北新報オンラインにて連載された深澤昌夫先生の【まちかどエッセー】。前回をもちましてご好評のうちに最終回を迎えましたが、皆様の声にお応えし番外編「たのしみは常に見なれぬ鳥の来て」 を掲載することになりました。宜しければどうぞ。
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「たのしみは常に見なれぬ鳥の来て」
「たのしみは常に見なれぬ鳥の来て軒遠からぬ樹(き)に鳴きし時」。
幕末の国学者、橘曙覧(たちばなのあけみ)の歌である。
今年、曙覧のいう「たのしみ」を感じさせてくれる鳥に出会った。我が家の庭に、これまで見たこともない鳥がしょっちゅうやってくるようになったのである。調べてみるとジョウビタキという鳥らしい。冬鳥であるジョウビタキ(オス)は頭は黒もしくは灰色っぽいが、首から下はちょっとくすんだオレンジ色で、両翼に特徴的な白い斑紋がある。スズメたちと違って何羽も群れては来ない。来るのはきまって一羽だけ。スズメたちは非常に警戒心が強く、ちょっとしたことでバッと飛び立ってしまうが、一回り大きいジョウビタキは単独行動を好み、割と滞在時間が長い。庭でエサをついばんでいる様子もスズメに比べて悠々としているように見える。
うちの庭にはブルーベリーの鉢植えもある。初夏になると少し大きめの鳥がその実を食べにくる。写真を撮って調べてみたら、ヒヨドリだった。実をいうと、鳥のことなどさっぱりわからない。「鳥だな」というぐらいで(笑)、たいていは名前だってわからない。それでも、鳥であれ、虫であれ、しょっちゅう顔を合わせていれば何となく親近感がわいてくる。これもコロナのおかげである。
庭のユズの木(これも鉢植えですが)には、毎年キアゲハやクロアゲハが卵を産みつけていく。卵がかえり、幼虫がユズの葉を食べ始める。別に飼っているわけではないが、幼虫たちが鳥たちのエサにならないよう、あれこれ配慮する。そもそもユズの木など、実がなることを期待していない。しまいには葉っぱもほとんど食べつくされて、まるはだかである(笑)。
数年前のこと、羽化したばかりのアゲハを見つけた。羽がまだ濡れている。すぐには飛べない。羽を広げたまま、庭に面したタタキの上でじっとしている。ためしに人差し指を近づけてみると指先によじのぼってくる。アゲハは私の指先でしばらく羽をかわかし、そしてさりげなく、ひらりと飛んでいった。
曙覧が言うように「見なれぬ鳥」もいいけれど、なじみの客がいつものように来てくれるのもまたわるくない。飼おうとは思わない。見守るだけでいい。顔なじみは、そこにいてくれるだけでいいのである。