今回は,前回予告した「外国語学習法」の具体的方法について話していきます。
物事を覚えるとき,アウトプットが大事だということを確認したところで,
「外国語」をどうアウトプットすれば良いかを考えました。
もちろん,実際に現地に行ったり,話せる人を見つけたりして,「実践」できれば,
それほどうまい話はありませんが,あくまで日本にいて「独学」で,ということです。
当然,テキストに頼ることになるので,まずは書店にあふれる「英会話」教材を見てみました。
しかし,大抵はどれも「よく使うフレーズを暗記する」という類のものばかりで,
私の言う「考えてアウトプットする」というものとは,ほど遠いものでした。
そんな中,「簡単な英文をたくさん作る」というコンセプトの本に出会いました。
大学入試向けの難しい構文の英作文ではなく,中学生レベルの文法で作れる英文を,
時間をかけて考えなくても,反射的に出てくるように,「作文の基礎力をつける」というものでした。
日本語で書かれた「問題(話すべき内容)」を自分で英訳するという,至ってシンプルなものですが,
根本的な発想は,「気の利いた表現を覚える」のではなく,「平凡な文を瞬間的に組み立てる」ということです。
考えてみれば,日本語であれ英語であれ,日常生活で話される言葉の大半は,
そういう基本的なことの組み合わせで,成り立っているのです。
ただし,その組み合わせは無限にあるので,暗記では対応できない,ということです。
ですから,「平凡な文を瞬間的に組み立てる」のは,言語を身につけるのに必須の能力だと思われますが,
そのためには,単語の知識に加えて,文法を「自分で使えるほど」理解している必要があり,一筋縄ではいきません。
そして,実際,何年間もそれなりに難しい英語を読み続けてきたつもりの私も,
簡単な文すら反射的にスラスラとは出てこないことを,思い知らされることになったのです。
英語に対する理解がいかに浅かったか。これはきっと,ほとんどの日本人に共通する問題かと思われます。
しかし,その学習(トレーニング?)を進めていくうちに,もう1つ,別のことも考えていました。
単に文章を作るという「頭」の作業だけでは,「実感」として身につかないのではないか,と。
そうなのです。私たちが言葉を喋っているとき,そこには「気持ち」がこもっているのです。
逆に,ただ単語を記憶し,それを文法に沿って「思い出して」いるだけでは,
翻訳機械のような役割しか果たしていないことになるのです。
外国語のフレーズを「覚える」から「考え出す」への発想の転換は,
そのきっかけとなった「記憶の定着」という意味では,解決策になったかと思います。
これは,ピンポイントの「頑張る記憶」から応用可能な「自然な記憶」へ,ということでもありますし。
しかし,「記憶」の問題からさらに「言語を身につける」という問題に進むにしたがって,
「気持ち=実感」といった,別の問題要素が浮上した,ということです。
では,言語を,単なる「翻訳」ではなく,より深いレベルで身につけるにはどうすれば良いのか?
これはまた次回に話していきたいと思います。
(小羽田誠治 中国語・東洋史学)