【備忘録 思索の扉】 第十回 私の外国語学習法(その1)

日本人の多くが,外国語にあこがれつつも,できるようにならず四苦八苦しているようです。
これまでにも話したことがあるように,私は外国語を学ぶのが好きです。
そこで今回は,私が実践している勉強の方法について話そうと思います。
もっとも,私が本学で教えていることの1つが中国語なので,
今回まで触れてこなかったのが,逆におかしいくらいではあるのですが。

さて,そうは言ってみたものの,実は,私が最も得意な外国語である中国語について言うと,
どのようにして上手くなったのか,なかなか参考になる話はできそうにありません。
というのは,中国語を勉強したのは高校時代なのですが,ただ楽しくひたすらに勉強していただけだからです。
20年以上も昔の経験で,よく覚えていない,ということもあるかもしれません。
そこで,数年前からようやく本気で取り組んだ英語について,話していこうと思います。

きっかけとなったのは,「記憶」に関するとある本を読んだことでした。
その本によると,脳は,一度取り入れた情報はなかなか忘れることがなく,
私たちが「忘れた」と思っている現象は,単に「思い出せない」ということのようなのです。
つまり,逆に言うと,私たちが何かを「覚えている」と実感するのは,
脳が記憶しているかどうかよりも,それを「思い出せる」かどうか,ということになります。
「記憶力がない」と嘆いている人は,実は「思い出す」力が不足している,ということなのです。

これを受けて,私はこう考えました。
であるならば,「考える」ということは,「思い出す」ことを連続して組み立てているということではないか,と。
つまり,「考える」ことこそ,「思い出す」トレーニングであり,「記憶を高める」トレーニングではないかと。
考えるためには,その瞬間最も必要なことを思い出すことになるわけですから,
効率から言っても,最良の方法に思えるのです。

そしてさらに,次のように考えました。
外国語についても,その言語を効率良く思い出すことが,記憶につながることになるのだから,
学びたい外国語の単語なり文なりを「思い出す」仕掛けを作ることが,上達の秘訣ではないかと。
アウトプットは最大のインプットなり。
そう考えたとき,私の外国語学習法に対する視界が,一気に開けたのを感じたのです。

さて,具体的な話をする前ではありますが,すでに結構な長さになってしまいました。
一応,外国語の学習を越えて応用できそうなほど,話の核心には触れたので,
とりあえず今回はここまでにして,次回,具体的な方法を詳しく話していきたいと思います。

小羽田誠治 中国語・東洋史学)