【備忘録 思索の扉】 第二二回 中世ドイツの笑いの性格(10)~強盗騎士のおんぼろ城~

ドイツと言うと、グリム童話の影響もあって「森と古城の国」というイメージがあります。実際、中世の時代のドイツには1万もの城が乱立していたとされています。現存しているのは3千ほどですが、それでも大した数ですね。ヴァルトブルク城、エルツ城、ニュルンベルク城といった古城は、ファンタジー小説やRPGから抜け出て来たような美しい姿で、観光客を魅了しています(ノイシュヴァンシュタイン城は別です。あれは19世紀後半に変わり者のバイエルン王が建てたもので、中世の建築ではありません)。

ただし。ここで注意したい点は、上で挙げたような名城は標準的なものではないということです。ふつうの騎士たちが住んでいた城の多くは、決してそのような豪勢なものではなく、むしろ「小さくて狭くて湿気ていて寒く、隙間風が入るようなところ」でした(メクゼーバー、シュラウト編『ドイツ中世の日常生活』、16頁)。中には今でも町役場やホテルとして使われている城もありますが、長い年月を経るうちに廃墟となり、現在では石壁しか残っていないというケースも多々見られます。

そもそも、一城の主であっても富裕であるとは限りませんでした。中世の騎士たちもピンからキリまで。大した御役が無くて所領も貧弱となれば、財布の中身が寒くなるのは当然です。城もだんだんうらぶれて来ます。そのため彼らの中には、領地を通る商人に不当な関税をふっかけたり、旅人を誘拐して身代金を要求したりする者も出て来ました。いわゆる「強盗騎士 Raubritter」と呼ばれるもので、「弱きを助け強きをくじく」騎士の理想像からは、およそかけ離れた姿です。

ハンス・ザックス(1494年-1576年)の笑劇「湯治場」(1550年)にも、こうした小悪党が出て来ます。家来ともども食い詰めた主役の騎士は、胃病のために湯治に赴く途中だったクリンゲンの修道院長を捕まえて、「わが山城で湯治をすれば、楽しく食事ができるようになれますぞ」と連行。あわれ修道院長は1か月にわたり城の物置小屋にぶち込まれ、パンとインゲン豆だけで過ごす羽目になります。おかげで肥えた体はすっかり痩せ細り、結果的にはダイエットに成功したのですが、喜ぶ気にはなれません。結局、100ターラーという大金を払った末に解放され、ほうほうの体で退散します。

聖職にありながら贅沢にふけっていた修道院長の姿は、宗教改革時代の反カトリックの空気を反映したものですが、騎士のほうもヒーローとは言い難いですね。実際、彼の2人の家来たちは、分捕り品を分けてくれない主人のケチな態度に不満たらたらです。気前の良さが美徳のしるしであった時代のこと、彼の性格の悪さがよく現れています。

まあ、そうでもして金を集めないと維持できなかったのが、城というもの。ロマンを誘う麗しい古城にも、ダーティーな歴史がいろいろ隠されていそうです。

栗原健 ・キリスト教学

* 参考: 藤代幸一・田中道夫訳『ハンス・ザックス謝肉祭劇全集』(高科書店)

ヴォルフスブルク城入口の騎士像

ヴォルフスブルク城入口の騎士像