【備忘録 思索の扉】 第二一回 J先生のこと

ぴく国の大学で日本語を教えていた時に親しくしていた韓国人の友人J先生が亡くなったという知らせを受けた。まだまだ若い。50歳になっていたのだろうか。

J先生はソウル市内の高校の日本語の先生だ。その優秀さから教育委員会へ出向し、昇進試験を受けて見事合格し、副校長として活躍し始めた矢先だった。韓国社会で女性が管理職として活躍することは簡単なことではない。人知れず努力を積み重ねてきたキャリア形成の途中だった。

私は彼女の紹介のおかげで、いっしょに韓国の高校の検定教科書「日本語Ⅰ・Ⅱ」を作ることができたし、ソウル市が主催する修能試験(日本の大学入学共通テストにあたる)の模擬試験を1週間の隔離合宿で作ったりもした。そこからEBS(韓国教育放送公社)の修能試験受験のための日本語のテキストにも関わり、ダイアローグや試験問題を作成するスキルを身に付けることができた。韓国の高校生たちは、今も、私たちが作った教科書を使って日本語を学んでいる。厳しい仕事ばかりであったが、韓国時代の私自身のキャリアを作ってくれた恩人であった。

彼女はとても日本が大好きだった。日本の文化を心からリスペクトしていた。日本の文化を高校生に伝えることが天命であると思っているかのようだった。浴衣が家に20枚以上あるとか、授業で納豆を食べさせてみたとか、温泉に入る猿を見に長野に行った!と自慢げに写真を見せてくれたこともあった。私よりも日本のあちこちを訪ねているのではないかと思うぐらいだった。私が資料として買って行った日本の祝儀袋のかわいらしさに大喜びしてご満悦だったことを思い出す。日本のモノのかわいらしさや丁寧な作りにいつも驚嘆していた。そして、そんな彼女もとてもおしゃれで、化粧もキメキメで、いつもミニスカートにピンヒールをはいていた。公立の高校の先生らしからぬ装いに、私のほうが心配してしまうぐらいだった。でも、こんなかっこいい先生が日本語を教えるなら生徒も授業が楽しいだろうし、日本に憧れるに違いない。そんなアイドルのような先生だった。

一方、ちょっとでも日本語でわからないことがあると、すぐに教えてほしいとメールが来た。ネイティブと変わらぬ実力だったが、自身の日本語には厳しかった。日本人からすると、どっちでもいいと答えたくなるような質問ばかりだったが、それでも正答を突き詰めていくようなところがあった。いっしょに模擬試験や教科書を作った時も夜中まで話し合ったことを覚えている。

行動的で、明るくて、頑張り屋…、太陽のような彼女が亡くなった。韓国の次世代の日本語教育に大きな影響を与える人だったはずだ。ぽっかり穴が開いてしまったような気がする。残念だ、惜しい、悔しい、そんな言葉でさえ、陳腐に感じられる。

昨年、MGの後期授業「リベラルアーツ基礎(異文化理解)」で、韓国大田にあるハンバッ大学日本語学科の5名の学生さんたちとZoomで交流するシンポジウムを企画した。韓国の大学生活や日韓関係について、韓国の大学生のリアルな考えや思いを聞くことができた。その交流を通してMGの学生が驚いたことが3つある。1つ目は韓国の学生が全員、日本に来たことがあること。それも1度ではなく、2度も3度も来ていた人もいた。2つ目は同じ1年生なのに日本語がペラペラなこと。日韓関係についても自分なりの考えを日本語で答えられるぐらいの実力だった。そして、3つ目は日本のことが大好きなこと。日本の若い人たちがどういう情報から韓国人は「反日」であると思い込んでいるのかわからないが、日本人は嫌われているに違いないと不安だったMGの学生たちは溜飲を下げたようだった。事実は反日か否かといったような単純なことではない。韓国の高校生や大学生たちが日本語を学ぶ理由は大学進学や就職のためだけではない。日本の文化に憧れて、日本に行ってみたい、日本語を学んで日本人の友だちを作りたい、そんな理由も大きい。そして、韓国にはJ先生のような人がたくさんいるという事実を忘れてはいけない。実際に交流することの大切さをあらためて感じた時間であった。

J先生と最後に話したのは昨年の夏だった。LINE通話で1時間近く話した。乳癌を患ったが民間療法のおかげで腫瘍がなくなったと声が弾んでいた。コロナが収束したらソウルで会おうね!と約束した。いつも仕事や日本語のことばかりで、お互いプライベートなことはほとんど話さずじまいだったことが、今となっては少し悔やまれる。

J先生、あなたが教えたたくさんの高校生たちに、日本語や日本文化の魅力は、あなたの存在の大きさと共に伝わっている。そんな彼らや彼女らが、きっと日韓関係の大きな種となって新しい関係を作っていくはず。感謝とともに、そう心から伝えたい。

そして、私も微力ではあるけれども、日韓の相互理解の一助にならなければと、あらためて思っている。

日本のことが大好きで、日韓関係の発展を中等教育の場で支えていたJ先生のような人が韓国に存在していたことを記録に留めたく、この「思索の扉」に寄稿する

(早矢仕智子・日本語教育)