【備忘録 思索の扉】 第二回「チャームポイント」

日本の春は、出会いの季節です。自己紹介をしてくださいと頼まれる機会がしばらく続くことと思います。

名前、所属先、出身地、趣味など、自己紹介に盛り込まれる事柄はいろいろありますが、くだけた雰囲気で行われる自己紹介では、「あなたのチャームポイントを教えてください」と言われることがあります。

実は長いこと、これを聞かれてもどう答えていいかわかりませんでした。仕方なく、
「声がわりによいと言われますがどうでしょうか」
「笑顔はけっこう癒し系だと言われています」
などと、自分ではなく人のことばを借りてごまかしていました。

でも、最近になってようやく、自分の「チャームポイント」と大手を振って言えるものをひとつ、見つけました。それは「手紙を認めるときの縦書きの文字」です。

小学校1年生の「かきかた」の授業で練習帳に「ことり」と何度も書き付けていたときのこと、何度目かの「ことり」で私は、ひらがなの「り」の字の二画目を、迷いなく鋭く引き、ふわりとはらいました。回って来た担任の先生は私のノートを1秒間見つめ、その「り」の上に、目の回るようなスピードで赤字の五重丸をつけました。しかしその奇跡は一回だけ。そのあとは何度書いても「り」の二画目はよれよれと波打つばかりでした。がっかりしました。「うまさ」を自覚的に繰り返すのは難しいのだと、子供心に感じました。

今に至ってなぜ、自分の縦書きの字を「チャームポイント」と言いたい気持ちになったのか。理由はふたつあります。
ひとつは、それが祖母の字を思い起こさせると気づいたからです。小学校高学年のとき、一度だけ、祖母から便りをもらったことがありました。グリーディングカードに縦書きに連なる、万年筆で書かれた流れるようなその文字を、穴があくほど眺めていた記憶があります。一端書き終わって少しだけ間を置いてから改めて文字を見つめると、祖母のあの字を思いだしとても嬉しくなります。(ただし、書いている最中は、不思議にも、ちっともそうは思わないのですが)

もうひとつは、誰かに向けて縦書きで文字を書き連ねるとき、自分の頭の中で考えていることが、そのまま文字に書き起こせているという実感があることです。相手に個人的に、本当に何かを伝えたいと願うときは、コンピュータに打ち込むのではなく、手書きにします。書き終わって眺めると確かに、ほんのさっきの一瞬の思索が、紙の上に転写されたとの実感を持ちます。

つまり「手紙を認めるときの縦書きの文字」には、私に連なる歴史と、私の本心とが、一度に掘り起こされ、一瞬で記憶されるのです。

「チャームポイント」は、人と比べての「うまさ」や「優劣」ではなく、それが自分の「本当」と関わっているとき、躊躇なく肯定できるようです。そして私の場合は、誰かに何かを縦書きで書いて伝えるときに、「本当のこと」を外在化させやすいようです。しかもその「本当のこと」に、理論的、実証的な根拠はありません。私の字は実は祖母の字には似ていないかもしれないし、さっきその字を書いた時の私は、今の私ではないかもしれないからです。証明できないそのことを、しかし実感をもって肯定できるとき、そこに「チャームポイント」が見つかります。

あなたの「チャームポイント」は何ですか。
今わかるようなら、是非教えてください。今わからないなら、いつか、教えてください。

間瀬幸江(フランス文化論・フランス語)