【備忘録 思索の扉】九回 中世ドイツの笑いの性格(4)~愛猫家の修道士~

ねこ前回に続いて、今回もハンス・ザックスの劇を取り上げようと思っていたのですが、タイムリーな別のネタが出て来ましたので、次回に回します。

今春は、猫好きの人にとっては嬉しい季節になりました。まず、猫の写真集で有名なフォトグラファー・岩合光昭が監督した映画「ねことじいちゃん」が仙台でも公開されました。猫がたくさんいる島に住む元校長先生・大吉さん(立川志の輔が好演)とその飼い猫たま、そして彼らを取り巻く人々の哀歓を牧歌的に描いたものです。高齢化で悩む過疎の島の現状が、こんなにほのぼのしている筈がない…と言えばそれまでですが、「現実は違うだろ」と水をぶっかけるのがユーモアなら、「なんで、こうであっちゃいけないんだ?」「このほうが絶対おもしろいだろ!」と夢をかかげるのもユーモアの役目。この笑いの両輪がないと人間、まともに生きられないし、社会もやっていけません。

これに続いて、4月19日から6月9日にかけて仙台市博物館で「いつだって猫」展が開催されます。歌川国芳などの楽しい浮世絵をもとに江戸時代の猫ブームを紹介するもので、これも愛猫家には見逃せないですね。

ところで、江戸の日本よりもはるか彼方、中世ヨーロッパでは猫はどのように見られていたのでしょうか。「魔女裁判の時には、猫は『使い魔』として殺された」といったおどろおどろしい(が、どこまで史実かよく分からない)話がイメージされやすいですが、「長靴をはいた猫」の物語にもあるように、どこの国でも猫にファンタジーを見ている人はいました。今回紹介したいのは、中世文学の中ではおそらく最も有名な猫テキスト、「パングル・バン(Pangur Bán、白いパングル)」の詩です。

この詩は9世紀ごろ、ドイツ南部にある世界遺産の地・ライヒェナウの僧院で書かれた写本に記されていた詩です。古アイルランド語で書かれていることから、僧院にいた無名のアイルランド人修道僧がたわむれに書き込んだものと思われます。原文はやや長いので、詩人のW・H・オーデンが短く英訳したバージョンをもとに、少し意訳して紹介します。

「パングル・バン、わしらは幸せだな。

学者と猫で、2人っきり。

おたがい、毎日することがある。

お前は狩りが仕事、わしは学問が仕事。

お前のキラキラの目は、壁を見ているし、

わしのかすれた目は、書物の上に注がれる。

ネズミを捕まえた時には、お前は大喜び、

疑問が解けた時には、わしもうれしい。

おたがい自分のわざを楽しみ、おたがい邪魔しない。

だからいつまでも飽きないし、妬むことなどありはせん。」

写本室でぶ厚い羊皮紙の書物に取り組んでいる学僧が、ときどき顔を上げ、室内を歩き回る白猫を目で追いながらほほ笑んでいる。そんな光景が思い浮かびますね。いかにも修道院らしい、平和なイメージです。

しかし、実はこの作者が生きていた環境は、そんなにのほほんとしたものではなかった可能性もあるのです。

アイルランドの修道院は、中世初期には多くの敬虔な信仰者たちを生み出して繁栄していましたが、ちょうどこの時代(特に795年-851年)、各地で僧院がヴァイキングの襲撃を受けて破壊されています。修道士が殺されたり、虜囚にされて奴隷として売り飛ばされることも珍しくありませんでした。特に狙われたのはクリスマスの日。祝祭の礼拝のために貴重な聖具が取り出され、大勢の人々が聖堂に集まって来る時であったため、襲う側は大きな儲けを見込めたのです。

この詩の作者がなぜ故国を離れて南ドイツにいたのかは分かりませんが、(猫ともども?)こうした辛い体験を生き延びて来たのかも知れません。今は静かに過ごしていても、この平和な日々はいつまで続くものなのか。故郷にはもう帰れないのか。そうした不安もあった筈です。

しかし、詩の文章にはそのような暗い影は見当たりません。まるで、無心にネズミを追うパングル・バンを見ているうちに、「今この時だけを、生きるべし」と悟ったかのような穏やかさですね。ケルト文化の流れをくむ中世アイルランドのキリスト教は、自然界とその生き物たちに対しても開かれた心を保ち、森羅万象の動きに神の恵みを読み取っていたと言われています。猫から生き方を学ぶことだって、無いとは言えないのです。

単なる愛猫家のひとりごとのような言葉にも、時代背景を探って行くと深遠な要素が見えて来ます。笑いの陰にも涙あり、涙の陰にも笑いあり。辛い時に「何はともあれ」と切り替えさせてくれるのも、ユーモアの力の1つです。(栗原健 キリスト教学)