ドイツ史における笑いの文学と言えば、ハンス・ザックス(1494年-1576年)の名前を忘れることはできません。ニュルンベルクの靴作りの親方であった彼は、本業のかたわら詩作と劇作に励み、26巻にものぼる膨大な作品を残しました。その中でもよく知られているのが、当時の庶民たちのたくましい生き方を描き出した謝肉祭劇です(藤代幸一氏による翻訳や解説書がありますので、ぜひご一読下さい)。
ザックスの謝肉祭劇の中には、ローマ人など古典の時代の人々を主役とした作品もありますが、今回はその1つ、「落ちぶれた貴族とアウグストゥス皇帝が買いたかった寝心地のよいベッド」(1553年)を見てみます。ローマの貴族スペルブスは借金だらけで家計が火の車ですが、毎日湯水のように金を使い、皇帝ですら彼のことを大富豪だと信じていました。その彼の頓死後、スペルブスの無謀さを知った皇帝は、「奴が寝ていたベッドを、何としても欲しいぞ」と言い始めます。その理由は、「わしですら心配事で眠れないことがあるのに、奴が巨額の借金を抱えたままのんびり寝ていられたということは、よほどそのベッドは寝心地がよいのだろう」ということでした。
ここで演出上の解釈が問題になります。皇帝はどのような口調でこのセリフを言ったのでしょうか。もしもシニカルな、皮肉をこめた口ぶりで言ったとすれば、「阿呆な者は幸せだな」という「ちょっと上から目線の哲人皇帝」のイメージになります。しかし、もしも本気で「一度でいいから熟睡したい…」と言ったとすれば、自分の弱さをさらけ出してしまった人間味ある帝王、という姿になりますね。
ヨーロッパの君主と言えば、豪華な城で祝宴に明け暮れていたようなイメージがありますが、実際の生活はそのような生やさしいものではありませんでした。不安定な国際関係(特にこの劇が書かれた頃には、宗教改革が引き起こした動乱のため、ドイツはきな臭い状況にありました)、近隣の君主との見栄の張り合い、天候頼みの農業経済、慢性的な赤字財政、あてにならない家臣や一族、後継ぎの問題など、ストレスの種はいくらでもあったのです。このため、君主は「欝やメランコリーに陥りやすい」とも言われていました。「もう寝たい!」と願ってもおかしくないのです。
ここで思い出したいのが、前回取り上げた『ティル・オイレンシュピーゲル』の物語に出て来たヘッセン方伯。「婚外子には見えない絵を描く」というオイレンシュピーゲルの申し出に一杯食わされた殿さまですが、面白いのが、詐欺がばれた後にこの方伯が家臣たちに語った言葉です。「わしらは騙されたのじゃ。余はオイレンシュピーゲルのことなど気にもとめておらなんだが奴の方からやってきおったのじゃ。200グルデン位の金はなんでもないが、奴の方ではいかさまをやめるわけにはいくまいて。だから2度と余の国には足を踏み入れんだろう」(阿部謹也訳)。
騙されたわりには偉そうですが、これが殿さまのつらいところなのです。家臣たちの手前、どんな失敗をしても威厳を保たなくてはいけない。そこで、「フッ、たかが200グルデンであの厄介者を遠去けられたのなら、安いものよ。これも国の平和のため…」と言わないといけないのですね。もちろん、錬金術に手を出すような懐具合があやしい殿様なら、200グルデンでも無駄にはできない筈なのですが、「それを言っちゃあおしまいよ」なのです。
そこは家臣たちも同じこと。「またかよ」と思った人や、「騙されたのは『わしら』じゃなくて、おまえだろ!」と空手チョップ級のツッコミを入れたかった人もいたでしょうが、そこは仮面が命の宮廷ライフ。「御意にございます」とうやうやしく答えた筈です。
まさに「殿さまはつらいよ」の世界。単純に見える笑い話も、深く読み込むと人の世の哀歓が見えて来ますね。(栗原健 キリスト教学)