ご近所のTさんのお宅の駐車スペースの蛍光灯にしばらくツバメの巣の残骸があった。何年か前まで毎年ツバメが来ていたのだが、いつだったか大風によって吹き飛ばされて、巣は半分以上壊れたままであった。Tさんは、「もう来ないわねえ」と残念がっていた。それが、昨年の晩春、2羽のツバメがやってきて、せっせと修復作業を始めた。嘴に咥えた何やらを巣にくっつけたり、中に入れ込んだり、あっという間(三日くらいだったろうか)に、美しい半円のどんぶり型のお家ができた。今流行りのリフォームハウスである。
そこからは、毎日が楽しみだった。高いところにあるので覗くことはできないが、下から見ると海坊主のように頭を出した一羽のツバメが巣の中に陣取っているのだから、きっと卵を温めているに違いない。(写真:7月5日)
7月23日、2羽の親ツバメが交互に餌を咥えて巣まで運んでくる。小さな頭が産毛でふさふさしているヒナが見える。3羽のヒナを確認する。その3日後には、一列に並んだ子ツバメたちが見えた。どうも兄弟または姉妹は5羽らしい。きゅっと並んで、餌が運ばれてくるのをお行儀よく待っている。親ツバメがやってくると、口を大きく開けて我こそと猛アピールだ。餌を咥えて行ったり来たりを繰り返す親ツバメの華麗な動きに見ほれてしまうが、私がいると親ツバメは近寄るのを嫌がるようなので、そそくさと退散。(写真:7月26日)ある時は、帰宅途中に暗闇の中で巣の近くまで寄ってみると、親ツバメが巣に覆いかぶさるようにして休んでいたりもしている。子ツバメを守っているのだろう、子育てが大変なのはツバメも人間も同じである。
8月に入ると子ツバメたちは、体も大きくなり、巣の中はぎゅうぎゅうで体はすでにはみ出している。あれ、4羽しかいない!Tさんに聞くと、おとといは道路に落ちていて、近所の人が拾って巣に戻してくれたとか。それで急きょ段ボールで、落ちた時の受け皿を作ったらしい。(写真:8月4日)しかし、何度数えても1羽いない。落ちてしまったのか、猫にでもやられたのかと心配になり、周りを捜すと、向いの背の低い電線に、小さなツバメが一羽止まってこちらをずっと見ているではないか。もしやと緊張する。飛び立つ気配がない。すると、そこへ大きな親ツバメがやってきて、口移しで餌をあげている。気の早いお兄ちゃんだったのか、ドジな末っ子なのかわからないが、弟妹たちの巣立ちを待っているのに違いないと、私の妄想は広がる。
次の日の8月5日の朝、不安と期待で巣を見に行くと、案の定、巣はもぬけの殻。きれいに空き家になっていた。例年よりも遅い梅雨明けになった昨年だったが、ようやく巣立ちの日を迎え、爽やかな夏の風に乗って、家族そろって次の目的地へ旅立っていった。
毎朝の通勤時と帰宅時にツバメの巣を眺め、週末には駐車場に入り、覗かせてもらっていた。親ツバメの懸命な子育てとヒナたちの成長を間近に観察できたことは楽しく、写真もたくさん撮らせてもらった。そして、毎日、ツバメたちを見ていると、ツバメの世界に興味が出て、もっと知りたくなった。図書館に行って、本を二冊借りて、一気に読んでみる。動物や植物関係の自然科学系の本にはあまり馴染みがなかったが、つっかえつっかえたくさんのことを知ることができた。ツバメの視覚システムや翼の航空力学、体の中の寄生虫の存在や進化過程…。来年もまた来てね、と思い込んで呼びかけていたが、実際はツバメの寿命は短く、渡りも過酷な旅で、昨年使った同じ巣に戻るということはほとんどないということや、夫婦で子育てをしていると思いきや、子育て支援のツバメもいるとか、また、何よりも地球温暖化や都市化によって、ツバメの絶滅も危惧されているという事実。高等学校までに習った昔の生物の知識はどんどん覆り、自身の知識や思考が上書きされることの楽しさを味わうことができた。
宮城学院女子大学の一般教育課程ではリベラルアーツという科目を開講している。リベラルアーツとは、「自由な思考や生き方をするための、総合的人間力を養う学問」だが、日本では「一般教養」と呼ばれることもある。何かに特化した専門的な知識や技術ではなく、さまざまな分野を横断的に学ぶことで、幅広い知識や教養、そして社会の課題を身につけることを目的としている。
ご近所のツバメとの出会いから、普段はほとんど触れない生物学関連の書籍を読み、温暖化や動物の行動学、家族の形態、さらには日本における人とツバメとの関わりまで、社会的な、または文化的な事象や課題を考えることができた。自身の専門分野とは違うアプローチから見えてきたヒントがたくさんあった。新学期を控え、空き家になっている巣を眺めながら、こんなリベラルアーツの学びを学生とできたら、楽しいだろうな、と思う。まずは身近なことから、社会や文化の課題を考える視点、そして、それを横断的に深めていく思考や方法の獲得である。さて、今年は、この巣にはどんな夫婦がやってくるのだろう?今から楽しみである。 (早矢仕智子 日本語教育)
長谷川克・著/森本元・監修(2020)『ツバメのひみつ』緑書房
長谷川克・著/森本元・監修(2024)『ツバメのせかい』緑書房
一般書であるが、最新の研究成果を元に書籍や論文の紹介も多く、進化学、生態学、行動学、個体レベル、集団レベルの話が主体になっている。写真や図形も多い。


