人間文化学科准教授 越門 勝彦

「やっと後期の試験が全部終わったよ。最後の哲学の試験だけは自信ないけどね。難しくって。」

「え、哲学? コエモン先生の授業取ってたんだ。どうだった?」
「どうって言われてもなあ。必修だから取ったんだけど……とにかく、普段は考えてもみないことを考えさせられるんだよね。そこが特徴かな。コエモン先生、知ってるの?」
「知ってるも何も、ゼミの先生だよ。で、講義ではどんなことが話題になってたの?」
「たとえばねえ、『美しさとは人それぞれで違うのか』、『それとも誰にとっても同じものか』、『宇宙に果てはあるか』、 『コンピュータは考えるか』とか。授業の流れは、まず配られた資料の会話文を読んで、テーマを把握して、近くの席の学生と意見交換しながら出された問題を考えて、その結果をまとめて口頭で報告する。それが終わると、先生が、そのテーマの背景にどういう哲学的議論があるのかを解説するわけ。そして最後にまたちょっとレベルの高い問題が出て、先生の解説を参考にして考えるの。これで一回終わり。ゼミではどんなことやるの?」
「ひたすら哲学者が書いた文章を読むよ。言葉の意味をひとつひとつ確認しながら、ゆっくり読んでいく。たまには身近な問題についてディスカッションするけど」
「えー! そんなのよくやってられるね。哲学者の文章ってちんぷんかんぷんじゃない?」
「予備知識がまったくなければね。でもそれはどんな分野でも同じ。用語の意味を知らなければわかりっこないよ。哲学者は、日常生活でも使うような簡単な言葉に特別な意味を込めていることがあるから、そこが要注意なんだってさ。あと、思考の筋道が独特で、常識的な枠組みでとらえようとしてもうまくいかないことが多いよ。たぶんこれが難しさの原因。でもそれは理由のある難しさで、問題をごまかさずに突き詰めようとするからこそ、話がわかりにくくなるんだと思う。先生は時代背景も含めて哲学者がどういう問題意識を抱いていたのかをきちんと説明してくれるから、それを踏まえながら読み進めていくことで、意味不明だった文章が少しずつわかってくるという面白さはあるよ」
「ふーん、なるほどね。あんたもうマニアだね。ところで、あの先生、何が専門なの?哲学の研究っていうけど、いったい何やってるのかな」
「18世紀から現代までのフランス哲学だって言ってたよ。主にベルクソンとか、メーヌ・ド・ビランとか、ナベールという哲学者の研究をしているらしいよ。人間のいろんな活動や体験を“私の身体”という観点から考えているんだって。私たちが物を見たり物に触れたり、暖かさを感じたり、喜んだり悲しんだりすることの意味は決して自明ではなくて、身体を持っているとはどういうことなのかという根本的なところから問わないと、その正確な理解は望めないんだとさ」
「へー。でもさ、哲学って何の役に立つのかな」
「だよね。わたしもそれは疑問に思って、いちど質問してみた。そしたら先生、しばらく考え込んでから、“自分をごまかさずに生きられることやな” って言った。意外なんだけど、哲学の問いの多くは、人はいかに生きるべきかとか、幸せに生きるためにはどうすればよいかという問題に行きつくんだって。それって誰もが真剣にならざるをえないはずの問題じゃない?でもって、本来は一人一人が自分の頭で考えるものだけど、哲学者の助けを借りれば、自分ひとりで考えるよりずっと遠く、ずっと深くまで思考を進めることができる。だから哲学を勉強して、“思考の飛距離と潜行深度を稼ぐ”らしい。……気取った表現かましてドヤ顔してるから、“生き方とか幸せについての問いなんていくら考えたって答えは出ないんじゃ?”と つっ込んだら、“ほんまに全力で考えたことあるん?”って問い返されたっけ」
「そっかあ。ちょっとだけ哲学とコエモン先生に興味が出てきたよ。で、先生どんな顔だったっけ? いつも後ろの方に座ってたからよく見えなくて。写真ある?」
「あるよ。えーとね、これはゼミ旅行で広島に行ったときの写真。あと、こっちは教室で」

res120118

「う~ん、これだと顔がよくわからないな」
「ならもう、実際に会ってみるしかないでしょ。さ、行こう!」