一般教育課程教授 田中 一裕

「週末は家でゆっくり過ごしたい」。講義を終えて帰路についた学生さんの一言です。勉学に、アルバイトに、遊びに、学生さんたちもいろいろと忙しい、ということなのでしょう。一方、“研究者”たる大学教員には、週末休みなどありません。日々忙しく過ごしている大学教員にとって、週末は実験したり、じっくり考えたりできる貴重なひと時なのです。もちろん私も週末を利用して実験を繰り返している一人です。いま私は、ある問題に強く心を惹かれています。それは、昆虫が羽化する時刻、すなわち蛹から成虫が出てくる時刻がいかにして決まるか、という問題です。

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図1
蛹からでたばかりのタマネギバエの成虫。
翅はまだ伸びきっていない。

話の主役はタマネギバエです(図1)。その名のとおり、玉ねぎの大害虫です。本種は土中で蛹になり、早朝まだ暗いうちに蛹から成虫が一斉に羽化します。夜明け前に羽化するのは、アリなど昼間に活動する捕食者との遭遇や日中の暑さ/乾燥を避けるためと考えられています。このハエに関して私が注目しているのは、羽化が“一斉におきる”点です。というのも、蛹がいる土の中は、今が朝なのか夕方なのかを知るのがとても難しい世界だからです。土は光を通しません。したがって、明るさや太陽の位置から朝夕を推定することはできません。唯一、土中にあって朝夕を教えてくれるのは地温です。タマネギバエもこれを使っています。

 しかし、地温には大きな弱点があります。それは「正確さ」です。太陽からの熱はまず地表を暖めた後、土中に伝わります。しかし、土は熱を伝えにくい性質をもつので、どうしても土中の深いところほど熱の到達時刻、すなわち夜明けを知らせる合図の到達時刻が遅くなるのです。

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図2
北海道札幌市郊外の農地における地温の日周期変化(2001年6月17~19日)。図中の赤い三角形と青い三角形はそれぞれ地下5㎝と20㎝の夜明けを示す。

図2をみてください。これはタマネギバエの発生地に近い北海道農業研究センター(札幌市)の圃場の地温を10分ごとに計測したものです。地下20㎝の夜明け(地温が上がり始める時刻)は地下5㎝のそれに比べ4時間ほど遅くなっていることがわかると思います(地下5㎝は午前8時、地下20㎝は正午頃)。早朝に羽化したいタマネギバエにとって、このような土深に伴う夜明けの遅れは大問題です。というのも、タマネギバエは地下1 cmから20 cmまでさまざまな深さで蛹化する(蛹になる)からです。夜明けは土中の深いところほど遅くなるので、地温に依存して羽化時刻を決めているかぎり、深いところにいる蛹が浅いところにいる蛹と同時に羽化するのは不可能なはずです。しかし,これは野外観察の結果とは一致しません。先述のように、野外では早朝にハエが一斉に羽化してくるのです。なぜでしょう?

 試みに、タマネギバエの蛹を地下5㎝と地下20㎝に置き、羽化時刻を調べてみました。その結果は興味深いものでした。地下5㎝と地下20㎝では夜明け時刻に4時間の違いがあったにもかかわらず、羽化時刻は地下5㎝も地下20㎝もほとんど変わらなかったのです。このことは、蛹が何らかの方法で土深にともなう夜明けの遅れを補正していることを意味しています。データを詳しく解析した結果、補正は深いところの蛹が浅いところの蛹よりも数時間早めに羽化することで達成されることが判明しました。

 土深によって羽化が早くなったり遅くなったりするという事実は、蛹が多かれ少なかれ自らが置かれている土深を知っていること、それにあわせて羽化するタイミングを変えていることを示唆しています。でも、どうやって? 研究を始めた当初は、幼虫が潜った深さを覚えているのではないか、土中深くなるほど濃くなったり薄くなったりする物質から深さの情報を得ているのではないか、などと考えていました。しかし、その後に行った実験の結果は、それらの可能性を否定するものばかりでした。

 得られたデータは、その日のうちにグラフにするのが私のやり方です。そのうち、特に重要と思われるものは研究室の壁に貼りつけておきます。時間があるときに眺めては、あれやこれやと考える(夢想する?)ためです。ある週末のことでした。いつものように壁に貼ったグラフを眺めているうちに、ふと「夜明け時刻以外にも土深に伴って変化するものがある」ことに気づきました。それは最高地温と最低地温の差、すなわち日較差です。図2をもう一度みてください。地温の日較差は土深が深いほど小さくなっています。地下5㎝の日較差は7~8℃ありますが、地下20㎝では2℃しかありません。各地の農業試験場が公開している地温データを見直したところ、日による変動はあるものの、この傾向は季節や場所が違っても基本的には変わらないことが確認できました。地温の日較差は、多かれ少なかれ土深の目安になりうるのです。もしかすると、蛹は地温の日較差をもとに自らが置かれた土深を知り、羽化時刻を変えているのかもしれません。

 このことを確認するため、さまざまな温度較差の下に蛹をおいて羽化時刻を比べてみました。結果は予想通りでした。温度較差が小さくなるほど羽化が早まったのです。1℃較差におかれた蛹は4℃較差におかれた蛹よりも3時間ほど早めに羽化しました。自然条件下では土深が深くなるほど夜明けは遅れ、地温の日較差は小さくなります。地温の日較差が小さくなるほど羽化を早めることで、タマネギバエは土深にともなう夜明けの遅れを補正し,蛹化深度にかかわらず早朝に羽化することに成功していたのです。

 このように、タマネギバエが土中で朝を知る仕組みのおおよそは明らかになりました。しかし、謎解きはこれで終わりではありません。次の課題は、「どうやって地温の日較差を測るのか」です。これがなかなか難しい。最高地温と最低地温を記憶し、引き算すれば較差は求められます。しかし、自分の体だけを使って温度を記憶するのは容易ではありません(皆さん、出来ますか?)。記憶できたとしても、その差を計算しなければなりません。これは、ハエだけでなく私たちにとっても相当難しいことのように思われます。もっと簡単な、それこそハエにも出来る較差の求め方はないものでしょうか? その答えを探るべく、この週末も実験を繰り返す予定です。ちなみに、今回はかなり苦戦しています。解決の糸口すらみえない、というのが現状です。ここは柔軟な発想ができる若い頭脳の出番なのかもしれません。というわけなので、一緒に謎解きを楽しんでくれる学生さん、募集中です。