人間文化学科教授 井上研一郎

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 ここに、少し前の一年生E・Kさんが、展覧会を見た後に書いた感想文があります。明治の初めに来日したキョッソーネというイタリア人が収集した浮世絵の展覧会でした。
「今回『浮世絵展』を訪れたことで、現代に生まれながらもこうして時代を超えて人々に感動を与える素晴らしい文化に出会うことができ、とても嬉しかった。江戸の人々も、キョッソーネも、私も同じものを見ていたのだ。」
 そう! 美術作品を見る楽しさはここにあるのです。何百年も前の人々と同じ作品を、いま自分が見ているということに気づいた瞬間、何とも言えない感動が生まれてきます。

 

こんな感想を書いてくれた人もいます。
 「高校までの英単語を暗記したり、数学や化学の公式を覚えるといった受験用の勉強に苦しんでいた私は、こんなに学ぶことの楽しさを味わったのは初めてのように思う。もうひとつ、私が得たものは素晴らしい人間関係である。…この授業の中で知り合った友人とは、美術やその他大学生活などを語り、いつもの遊び友達とはまた別の新しい人間関係を築くことができ、大変嬉しく思っている。…授業が終わった今、私は充実感でいっぱいである。」

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この文章を書いてくれたM・Sさんが強調している「素晴らしい人間関係」として思い当たるのは、「学年を越えた結びつきの強さ」ということしょう。井上ゼミの研修旅行は、2年生から大学院生まで合同で行います。1年生にも自由参加を呼びかけています。すると、見学先の博物館の展示室でこんなことが起こります。
「…ある先輩は、一生懸命メモをとっていた。私もつられてメモをとったが、先輩がたのように一字一句漏らすまいというような気合いはなかった。また他の先輩は、単眼鏡を使ってガラスケースの中にある作品を見ていた。見る角度を何度も変えて見ている先輩もいた。先輩がたからは、作品を見るときの気迫というか、吸収できるものをすべて吸収しようとする気持ちが伝わってきた。」

 

 

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この文章を書いたA・Mさんは、立派な卒論を残して卒業していきました。面白いことに、下級生の時は必死になって上級生について歩いていた人たちが、四月になると平然として立派な上級生らしさを発揮するんです。「あ、それはこうするの。」とか、「だいじょうぶ、できるわよ!」などと、じつに頼もしいお姉さん! ちゃんと先輩たちの背中を見て育ったんですね。教師なんかよりよっぽど頼りになる、かも???

 

 

 「井上センセイは学生の世話ばかりしてるみたいだけど、何を研究してるの?」と思われるかもしれないので、私が普段調べたり考えたりしていることを少しだけお話ししておきましょう。
 インターネットで私の名前を検索すると、Webサイトへのリンクのほかにいくつかの項目が出てきます(もちろん、同姓同名の人や「井上究一郎」氏の項目も誤って紛れ込んでいるので注意!)。本人が「まさか」と驚くようなキーワードもありますが、私がとくに関心を持って取り組んでいるのは「夷酋列像(いしゅうれつぞう)」「蠣崎波響(かきざき・はきょう)」「山口蓬春」「やまと絵」「日本絵画の空間表現」といった項目です。このうちはじめの二つは、作品とその作者という関係。ここではごく一部の画像の紹介にとどめておきます。
 もし、関心を持たれた方は、国立民族学博物館(略して「みんぱく」)の共同研究のWebサイトをご覧ください。

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さて、きょうもゼミ生の面々は、狭い井上研究室に集まって楽しく情報の収集と交換に余念がありません。例年になく早く開花した桜に、あわてて花見の日程の相談らしい。
「関西自主研修」のためにインターネットで安いホテルを必死で探すのは、旅慣れた4年生。一番奥で動きのとれなくなった私は、入り口近くのゼミ生にコピーを頼む羽目となりました。

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