教員のリレーエッセイ:一般教育部 教授 早矢仕 智子

「やさしい日本語」ということばを聞いたことがありますか。ふつうの日本語よりも簡単で、外国人にもわかりやすい日本語のことを言います。1995年1月の阪神・淡路大震災をきっかけに、災害時、日本に住む外国人が必要な情報や支援を受け取ることができるようにと考え出されたものです。現在は災害時だけではなく、自治体のホームページ、毎日のニュース発信など、さまざまな分野で取り組みが広がっています。

今年度、私が担当した1年生対象のMGUスタンダード科目の授業「基礎演習」のテーマは、この「やさしい日本語」です。私自身は20年近く韓国の大学で日本語教育に携わってきましたが、多文化社会がすでに到来している日本において、今もっとも日本語教育が必要なのは、この地に住んでいる「ふつうの日本人」に対してなのではないかと思っています。例えば、授業を通して学生たちが一番困ったことは、「どんな日本語が外国人にとって難しいのだろう?」ということでした。私のような日本語教師や日本語教育学を学んでいる人は、日本語学習者の初級日本語がどういうものかということを、知識として、または実践を通して知っています。しかし、「基礎演習」の履修学生たちは日本語教育学専攻ではありません。そういった専門知識を持っていませんし、外国人の日本語なんて聞いたこともない「ふつうの日本人」なのです。もちろんコンビニに行けば、外国人もたくさん働いていますし、仙台には世界各国からの留学生もたくさんいますが、直接、自分と関わりがなければ、私たちにとって外国人とは、見えていない存在なのかもしれません。

何も難しいことではありません。そうであるなら、外国人と直接、話してみるのが一番の近道です。6月、仙台にある日本語学校の留学生の皆さんと授業内交流をすることにしました。学生たちにとっては日本語を学習している外国人の日本語を知る機会であり、日本語学校の留学生にとっては学習した日本語を日本人に試してみる実践の場です。参加したネパールやバングラディシュの7名の留学生の皆さんは来日したばかりで、ひらがなを猛勉強中とのこと。自己紹介はとても上手ですが、フリートーキングはまだまだのようです。

一方、学生たちは、授業で学んだ「やさしい日本語」、知っている英語、スマホの翻訳機、身振り手振り…、さまざまな方法を駆使しながら必死にコミュニケーションを試みます。自分たちよりも、お姉さん、お兄さんである外国の方と何を話したらいいのか、悩みながらも、お互いの名前の読み方やそれぞれの国の挨拶を教えあったり、日本のじゃんけんを一生懸命に説明していたグループもありました。後半は初夏の日差しの中、グループ毎にキャンパス内を散策し、生協の売店に行っておいしい日本のお菓子を教えたり、ピアノ池で写真を撮ったり、イスラム圏の留学生には礼拝堂の見学は断られたものの、そんなやりとりも貴重な体験の1つです。最後はネパールの踊りを教えてもらって、皆でワイワイ踊って、楽しい時間を過ごしました。

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「基礎演習」履修学生の授業コメントを紹介します。
・言語の壁はあったとしても、すごくコミュニケーションをたくさんとることができたし、国や文化が違う人と分かり合うのって、こんなにも嬉しいことなのだと気づきました。
・外国人も日本人も場所が違うだけで、同じ地球に生まれたから、共通していることがたくさんありました。言葉が違うだけで乗り越えることができない大きな壁があると思っていましたが、そんなことはないと学ぶことができました。

 

実は、「やさしい日本語」をマスターし、実践するには若干の知識と技術の修得が必要です。しかし、スキルを修得する前に、人とのコミュニケーションにおいて一番大切なことは何なのか、それぞれが感じたり考えたりすることができた時間になりました。日本においてはマイノリティである外国人、彼らが困っているのを見かけた時、マジョリティである日本人側、私たちが少しでも歩み寄ることは、人として対等な関係を作るための第一歩だと思っています。それが「やさしい日本語」です。そして、「やさしい日本語」の活用は外国人に対してだけではなく、高齢者や障がい者に対しても、本当の意味で対等な関係を築くことに繋がります。すでに皆さんも気づかれていることと思いますが、「やさしい日本語」とは、「易しく」て、「優しい」日本語なのですから。