教育学科・幼児教育専攻 助教 境愛一郎

教育学科・幼児教育専攻の境愛一郎です。専門は保育学で、「保育原理」、「保育内容指導法(人間関係)」、幼稚園実習などを担当しています。

 

幼児教育専攻は、保育・教育・福祉のスペシャリストを養成するという目的のもと、2016年度に発足しました。奇しくも、私が大学の教員としてのキャリアをスタートさせたのもこれと同じ2016年度です。もっとも、創立130年という長きにわたる積み重ねの上に誕生した幼児教育専攻と、若輩の私が肩を並べるというのはおこがましいことなのですが、ともに歩み、成長していくことができればと思っています。

冒頭でも少し紹介した通り、私は、保育士や幼稚園教諭をはじめとした保育者を目指す人が、保育の基本的な概念や制度のほか、子どもや同僚、保護者とのかかわり方を学ぶための授業を担当しています。たとえば、おそらく入学してはじめて受講する保育の専門的な授業となる「保育原理」では、そもそも保育とは何かということに始まり、法律や歴史に関すること、具体的な実践方法に関すること、日本や海外の最新の実践および研究の動向に関することなどを幅広く扱います。このように内容を並べると、堅苦しく、難しい授業だと感じるかもしれません。しかし、これらは実際に現場に出て、子どもの命や将来を預かる前には絶対に知っておかなければならない事柄であり、避けては通れないものなのです。

私の授業では、そうした内容を単に記憶するのではなく、具体的な実践の映像などを交えた仲間とのディスカッションやグループワークを通して、自分たちで知識を「再発見」するように学習できるよう心がけています。これには、気軽に楽しく学べるようにという意味もありますが、じつは保育学の特徴とも大きく関係しています。

その特徴として、第1に、教室ではじめて出会う数式や理論とは異なり、ほとんどの人が、過去に子どもとして保育を実際に経験しているという点があげられます。そのため、自分の子ども時代の思い出を振り返り、友だちと語り合うなかで、保育のあり方や子どもの内面を理解する鍵が見つかることが往々にしてあるのです。第2に、保育者の仕事とは、「人に始まり人に終わる」といっても過言ではないことがあげられます。企業経営の理想的サイクルがPDCA(Plan・Do・Check・Action)であるなら、保育実践のサイクルはUDDR(Understand・Design・Do・Reflection)であるともいわれるように、「良い実践」や「良い援助」の大前提には、かかわる相手に対する深い理解が不可欠なのです。私は、そうした相手を理解する力は、座学によってではなく、実際に他者と言葉を交わし、内面を推し量りながら、ともに答えを紡ぎ出していく経験によってのみ得られるものだと考えています。また、相手の内面を共感的に理解するために、自分の内面に豊富な感動や悲しみのストックを作り、すぐに取り出せるようにしておくことも重要です。

やや抽象論的、理想論的な話になってしまいましたが、子どもの経験や保育の現状を、我がこととしてともに味わっていきたいと願っています。

 

最後に、私の研究内容について少しだけ紹介します。私の研究内容、それはずばり保育環境における「境の場所」の研究です。・・・悪ふざけではありません。「保育所や幼稚園にはどんな場所があるか」と問われると、通常は、園庭や保育室などの多くの子どもや保育者が集まり、活動の中心となる場所が思い出されるのではないでしょうか。しかし、そうした「主要な場所」の間には、廊下やテラス、階段のような「境の場所」が存在しています。少し話は変わりますが、伝統的な日本家屋には、室内と庭との間に縁側と呼ばれる場所があります。このような場所は、屋内と屋外の要素が交じり合うために、「お月見」などの内と外の要素が混在した活動や、家の敷居を跨がせることなく近所の人と親密に話をするといったあいまいな関係性を育んできました。私は、たとえば保育室と園庭をつなぐテラスでも、同じように独自の活動や関係性が生まれ、それが子どもの園生活にとって重要な意味を持っているのではないかと考えています。

こうしたわけで、約6年間にわたって、いろいろの保育所や幼稚園にお邪魔し、テラスなどの「境の場所」を子どもがどのように用いているかを追い続けています。ここでは、その全容をお話しすることはできませんが、テラスでのエピソードの概要を1つだけ紹介します。

カブトムシの入った虫かごを抱えた4歳児のA男。テラスにやってくると、床面に置かれたトレイに、虫かごの中身を土ごとあけた。テラスは、多少の泥や水の使用も許される。A男は友だちのB男とともに、テラスの床に腹ばいになってカブトムシを観察する。すると、たまたま通りかかった同じクラスのC子、園庭で遊んでいたD男、5歳児のE男などが次々とA男たちのもとに集まってきた。

 

いかがでしょう。テラスだからできること、テラスだから起こったこと・・・見えてきましたでしょうか。一見すると、曖昧で中途半端な場所であっても、子どもはそうした場所の特質を巧みに利用し、生活や遊びを作り出します。また、そうした特質が、保育室や園庭からはみ出してしまった子どもの気持ちや要求を受け入れることができる場所としての「懐の深さ」とも強く結びついています。興味がある方は、声をおかけください。

 

少々マニアックな話になりましたが、「中心」や「集団」だけでなく「周辺」や「個」にも目を向けること、「明確なもの」だけでなく「曖昧なもの」の価値を考えること、これらはおおよそ全ての学問や実践において重要な視座であると思います。

とりわけ、子どもの世界は豊かな意味で溢れています。一見すると些細なことでも、その子どもにとっては大事件、大発見かもしれません。そうした世界を広い視野で味わい、時に考え込んだり、時に直接かかわったりしながら、ともに学びの日々を紡いでいくことができれば、この上ない喜びです。