日本文学科 准教授 古田正幸

こんにちは。日本文学科の古田正幸(ふるた・まさゆき)と申します。私は『源氏物語』をはじめとした平安時代(794~1185年)の文学に関する科目を担当しています。

大学で「古典文学」を「読む」こと

受験生の皆さんは「古典文学」を「読む」と聞いて、どんな科目を想像しますか? 授業によって狙いは異なるので、ここでは私の授業に限ってお話しします。

私が大学で「古典文学」を勉強した発端は、教員免許状を取得するためでした。ですが、本当に熱中した理由は、私の高校の暗記中心の「古文」と、大学の「古典文学」が異なるものだったからです。

一つ、例を挙げてみます。『源氏物語』の冒頭はご存知ですか? 「いづれの御時にか」で始まる一文です。これを、なぜ《どの帝のご治世であったか》と現代語訳出来るのか。

『古語辞典』の類には、「時」に敬意の「御」が付いた「御時」は、《時間》や《時代》の意味を持つ「時」と異なり、《帝の御代》や《帝の治世》の意味を持つなどと載っています。

しかしながら、『古語辞典』の説明は、作品成立当時のものではありません。平安時代の作品に対して「古典文学」を「読む」ための説明がなされるようになったのは、何百年も経ってからのこと。平安時代のことがわからなくなったから、説明を考えはじめたわけです。わからなくなった後の時代の人が考えたことが、常に正しい保証はありません(ですよね?)。私たち自身で「古典文学」を「読む」ためには、調べて考える必要があります。

 

【所蔵資料①】
一番よく「古典文学」が読まれるようになったのは、1603年に始まる江戸時代です。その江戸時代の後期に『伊勢物語』の研究をした藤井高尚(1764~1840年)の和歌です。「もみちにあり明の月のゑに 秋山のふかきあはれを人とはは もみちにのこるあり明のつき 高尚」と書かれています(なお、江戸時代まで濁点は必須ではありません)。こうした平仮名をくずした字の読み方なども授業で扱っています。

なぜ、そのように平安時代のことを説明出来るのか? 先ほどの例なら、どうして《いつのお時間》ではいけないのか? そんな疑問に対して、証拠をあげて考えることが、大学での「古典文学」です。

疑問に対する証拠のあげ方はいくつかありますが、その一つに『源氏物語』の中で「御時」が用いられる例を探す方法があります。「先代の御時」(桐壺巻)、「故院の御時」(松風巻)、「父帝の御時」(玉鬘巻)など、「御時」の上には帝に関する言葉がつく。したがって「いづれの御時」も、《いつのお時間》ではなく、帝の治世に関することとわかるわけです。

自分で考えるときに、「御時」に関する知識は邪魔になりません。ですから、高校でもおおいに勉強しましょう! ですが、「古典文学」の原文を調べて、考えて、「読む」ことは、大学で一から学ぶことが出来るものです。

大学で「古典文学」を「読む」ことは、「古典文学」の楽しさに触れることはもちろん、ものごとに疑問を持つ能力、疑問の解決に向けて調べる能力、論理的な思考能力、その成果を人に伝える能力につながります。そんな大学の「古典文学」を「読む」勉強に、私はすっかり魅せられました。

十分に「読む」ことが出来ていない「古典文学」はまだまだたくさんあります。私と一緒に、ぜひ「古典文学」を「読む」ことに挑戦し、皆さん自身の力を伸ばしてみませんか。

 

【授業風景】
90分の授業でお伝えできることは限られるので、疑問を大事にして、いつでも質問・相談に来てほしいと学生さんには伝えています。

グローバル化が進む現代だからこそ、学んでほしいこと

【所蔵資料②】
江戸時代に描かれたもの。これも一つの「古典文学」にまつわる文化です。

 

そして、「日本」について調べて、考えられるようになることは、異なる価値観や文化を受けとめる訓練にもなりえます。私たちはどうしても、自分の中にある考え方や感じ方でものごとを裁き、似たものに親近感を抱きがちです。しかしながら、本当に垣根をなくすためには、異なるものを異なるままに受けとめることも大事です。

「古典文学」には、現代に通じる価値観や文化が描かれる一方で、現代とは異なることが描かれます。例えば、平安時代の女性は外を出歩くことが出来ません。恋愛のプロセス一つとっても異なりますし、結婚の際にも「通い婚」と呼ばれるような、男性が女性の家に通ってくるような形式のものもありました。

でも、文化が違っても、同じ日本のこと。時代が少し異なれば、私たちの価値観や文化は変わります。その変化自体がおもしろい。そんな風に楽しむ視点が「古典文学」を学ぶことで身につきます。その視点が、自然と場所による価値観や文化の違いを受けとめる姿勢にもつながるでしょう。

一人でも多くの「古典文学」に興味のある方とお目にかかって、一緒に「古典文学」を通じた異文化体験をできることを、楽しみにしています。