【大学礼拝説教】わたしたちに必要な糧を今日与えてください

2023年1月20日大学礼拝

マタイ 6:8b-11

あなたがたの父は、願う前から、あなたがたに必要なものをご存じなのだ。 9だから、こう祈りなさい。『天におられるわたしたちの父よ、御名が崇められますように。10御国が来ますように。御心が行われますように、天におけるように地の上にも。11わたしたちに必要な糧を今日与えてください。

トルストイというロシアの文豪がいます。彼は「戦争と平和」「アンナ・カレーニナ」といった大作を書きましたが、一方でロシアの民話をたくさんあつめた小編もたくさん書きました。そんな小編の中に「人はどれだけの土地がいるか」という話があります。

昔ロシアにパホームという名前の貧しい農民が妻と二人で住んでいました。あるとき妻のお姉さんが町から遊びにやって来ました。彼女は都会暮らしを自慢し、田舎を馬鹿にします。ムカッときたパホーム夫妻は反論します。パホームは言いました。「おれたちは畑を耕してさえいれば幸せなんだ。ただ、土地が狭くってなー。しかも借り物なんだ。自分の土地さえあれば、悪魔だってこわくないんだが・・・」。この話をなんと悪魔が聞いていました。悪魔はつぶやきます。「土地さえあれば悪魔だって恐くない?上出来じゃないか。これから俺様はお前をたっぷりの土地でとっちめてやるからな!」

しばらくしてパホームはあることがきっかけで小さな土地を手に入れます。もちろん悪魔の仕業です。念願の土地をやっと手に入れて喜んだのもつかの間、パホームは次第に小さな土地では満足できなくなりました。彼はがんばって働きます。こうしてパホームの土地はだんだん増えていきました。しかし土地を持てば持つほど、もっと、もっと土地がほしくなってくるパホームでした。

ある日パホームのところへ一人の旅人がやってきました。これも悪魔の差し金です。彼は言いました。「遠い東のバシュキール人の住むところに行けば、ものすごく広い土地が安く手に入るよ。」パホームはさっそく雇人を一人従え、出掛けます。7日間歩き通し、とうとうバシュキール人の部落に着きました。持ってきたおみやげをプレゼントしますと人々はとても喜び、村長は「お前さんの気に入る物を何でもあげる」と言いました。待ってました!とばかりパホームは、「土地がほしい」と言います。すると村長は「ああいいよ、いくらでもあげるよ」と言うではありませんか。「朝日が昇って沈むまで広野を駆けめぐり、一日、杭を打ってまわる。そしてちゃんと日が暮れるまでに出発点に戻ってこれたら、その杭に囲まれた土地は全部お前さんのものだ」というのです。「ただし、日が暮れるまでに戻って来れなかったら、お前さんの持ってるお金はぜんぶ村のものだ。」パホームは喜んでこのゲームに参加します。

よく朝、パホームは夜明けと共にはりきって出発しました。「どっちにしようかな。よし最初は太陽が出てきた方向に進もう。」パホームは東に向かって進みます。「そろそろ曲がろうかな。いや曲がるにはまだ早いぞ。もう5キロ進んでからにしよう。」パホームが最初に左に曲がったときには、もうお昼になっていました。杭を打ち、パンと水を飲み、少し休み、今度は北に向かって歩き出しました。「そろそろ曲がろうかな。でも待てよ、行けば行くほどいい土地になってくるぞ。この土地をとらない手はないな。もう少し行こう。」やっと二度目に左に曲がったのは3時頃になっていました。「少し時間をとりすぎたから、三つ目は少し短めにしなくちゃな。多少、土地はゆがんでも、とにかく帰らなくちゃ元も子もないからな。」こうしてパホームはたった2キロ進んでまた左に曲がり、いよいよゴールをめざしました。だんだん苦しくなってきました。暑くなって上着をぬぎます。足にもまめが出来てなかなか進めません。太陽も沈みかけてきます。「俺って欲張りすぎたのかな?」そんな思いが頭をよぎります。やっと向こうに出発点の丘が見えてきました。そして太陽がその丘に沈もうとしているではありませんか。「もうだめだ」と思ったその時、丘の上から村人たちの声が聞こえます。「がんばれ、がんばれ、もうすぐだぞー」と叫んでいます。「そうか、丘の上ではまだ太陽は沈んでないんだ」。最後の力を振り絞ってパホームは丘をかけ上り、ゴールにかけ込みました。村長が褒めます。「よう歩きなさった。たーくさんの土地を自分のものにしなすったのう。」しかしそのとき、パホームはすでにこと切れていました。村長は彼のためにお墓を用意し、1m×2mの土地を彼のために与えました。一日中歩いて、走って土地を手に入れつづけたパホーム。彼が最後に手にしたのはこの1m×2mの墓地でした。

私の友人の話を思い出します。彼は1980年代、大手半導体メーカーに勤めていました。その頃、日本は世界の半導体ビジネスをリードしていました。彼はスコットランド工場に遣わされ、現場を監督します。スコットランド人たちは彼に聞きました。「なぜ日本人はそんなに朝から晩までがんばって働くんだい?」「そりゃお金を貯めるためさ」「じゃ、引退したらそのお金を何に使うんだい?」そこで彼はハタと答えに詰まってしまいました。答えを持っていなかったのです。見渡せば、スコットランドの人たちはきちんと休みを取り、庭いじりや山歩きを楽しんでいました。

首都圏や関西では「お受験」という言葉があります。有名私立幼稚園に入ってよい小学校に入る。小学校3年生からは塾に入ります。それはよい中学校に入るため。それはよい高校に入るため。それはよい大学に入るためです。今という時は、すべて未来の幸せのための準備期間です。これは本当の人生ではありません。その時を生きていないからです。パホームは「今」という時の価値に目をくれず、少しでも広い土地を、と求めながら生きてきました。広野を走りながら杭を打ち続け、最後に彼を待っていたのは「人生の終わり」でした。これが本当の「くい」が残る人生です。

この三年間、大学礼拝でこれまで14回、語ってきました。今日は15回目、そして最後のお話になります。「私たちに必要な糧を今日与えてください」皆さんよくご存じの「主の祈り」の一節です。昔使われていた口語訳聖書では「今日もお与えください」でした。しかしそうではなく「今日お与えください」と私たちが祈る時、今日の私に必要な糧を、今日お与え下さいと私たちが祈ることに気付きます。皆さんがこの宮城学院で過ごす一日は、けっして未来の準備のためではなく、今日というこの一日を十分に生きるようにと神様からいただいた一日なのです。そのことに感謝して、今日の一日をご一緒に過ごしたいと思います。私の三年間も、まさにそのような日ごとの糧でありました。