【もりのこどもえんだより:巻頭言】ことばの感性

ことばの感性

末光 眞希

先日、子育て講座「ヒュッゲの森」でお話しする機会がありました。「よい子育ては親がよい人生を歩むことから」と話しました。親自身が人生を楽しむこと、その姿にこどもが共鳴すること、これ以上の子育てはないと思ったのです。

こどもに教えたい心は、まずおとなが持ちたいと思います。どうしてだろう?と不思議に思う心、すごいな!と感動する心。こどもに負けじと率先して問い、率先して感動しましょう。こども園の森には、動く被写体があると自動的にシャッターが切れるカメラが置いてあります。先日は、タヌキとキツネとカラスが写っていました。キツネが好きだと言う油揚を(先生の発案)、プラスチックの容器を止めて地面に直か置きにした(子どもたちの発案)成果でした。お稲荷さんまで食べて行きました。ひかり組のこどもと先生たちはカメラをチェックし、動物が映っているか探します。私も試写会に呼ばれ、発見の大興奮のお相伴にあずかりました。カラスのどアップは迫力満点。最高の保育がそこにありました。

私にとってよい人生とは、よい出会いに満ちた人生を意味します。仕事も、音楽も、園長職も、すべて自分の力を超えたところから降ってくる「出会い」のお陰でした。それが私の感動です。でも「降ってくるのを待ちましょう」では講話にならないので、ヒュッゲでは「出会い」の運動神経の磨きかたについて話しました。それは<ことば>の感性を磨くことです。梶田隆章先生の 2015 年ノーベル物理学賞の受賞対象となった世紀の大発見は、彼が「ニュートリノ振動」という言葉を知っていたからこそ生まれたものでした。園では、「この森にキツネがいるかもね!」という一言が子どもたちの工夫を呼び、彼らの「大発見」を生みました。言葉には現実を動かす力さえあります。「必ずカーネギーに行きます!」と言い続けることで、それは現実になりました。「幸運は用意された心のみに宿る」(ルイ・パスツール)は本当です。

(もりのこどもえんだより8月号掲載)