中庭の藤が美しく咲き誇る4月27日(土)。
宮城学院女子大学日本文学会では、仙台の文化人でありまち歩きの達人 木村浩二先生を講師にお迎えし、講座「伊達政宗のまちづくり―城下町仙台のヒミツ」を開催しました。縁があって大学生活4年間を過ごすことになった仙台という街を、学生にもっと知って欲しいという思いから木村先生にお願いしました。
さて、皆さんは自分が暮らす街をどの程度知っていますか。
生粋の仙台っ子であっても知らないことは山ほどあると思います。だからこそ、知れば知るほど視野が広がり好奇心が刺激される。そういう機会を逃すのは勿体ないですよね。
木村先生の講座は学生たちを大いに刺激したようです。
全てをここに記すことはできませんが、木村先生のお話は最初から最後までとても面白く、一言たりとも聞き逃すまいと耳を傾けていた方が多かったと思います。
一国一城令に対し、仙台には仙台城と若林城という二つのお城がありました。当然城下町も二つ。それはなぜだったのか。若林城の跡地には今何が建っているのか。
本丸、二の丸、三の丸、すべて含めて仙台城です。伊達政宗は青葉山の崖から見渡せる範囲に城下町を作ったそうです。その城下町はほぼほぼ侍の屋敷で構成されていました。城下町の中心だった十字路は芭蕉の辻(名前の由来には諸説あるそう)と呼ばれ、そこにはお店が立ち並び大変賑わいました。仙台の城下町の人口は当時6万人ほどだったそうです(米沢や弘前の城下町は3万人ほどでした)。
また、仙台城、そして仙台の城下町は地形を利用して建設されているのも特徴だそう。青葉山は天然の要塞。城下町は河岸段丘を上手に利用してその上に建設されました。車やバスなどを利用すると気づきにくいかもしれませんが、実は仙台には「崖」が多く、緩やかな坂道が多いそうです。
木村先生は具体的にいくつか教えてくださいました。実際に確かめに行ってみたいですね。
ちなみに、仙台の藤崎デパートの青葉通側入口から入ると階段があります。数にして16段。河岸段丘の崖の名残だそうですよ。
最後には伊達政宗の素晴らしいまちづくりの一つ、四ツ谷用水について教えていただきました。
四ツ谷用水は人口の用水路です。城下町を満遍なく流れ、最後は梅田川に合流します。伊達政宗がいかに土木業に長けていたのかがよくわかるお話でした。
「千代(せんだい)」から「仙台(せんだい)」へ。
伊達政宗の思いが込められた仙台という街で過ごす大学生活が、学生の皆さんにとって実り多き良いものとなりますように。
木村先生、本日は貴重なお時間をありがとうございました。
学生だけではなく参加した教職員一同、大変勉強になりました。心より感謝申し上げます。