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―『奥入』と『源氏物語』の注釈史―
山 口 一 樹(日本文学科 助教)
以前、「いつかは読みたい本」というランキングで『源氏物語』が一位になっていたことがありました(注1)。本作に寄せられる関心の高さが伺える一方、そのとっつきにくさも見て取れるような結果です。ただ、『源氏物語』の豊かで複雑な世界を容易には解し得ないものと感じていたのは現代に限ったことではなかったようで、平安時代の末にはすでに注釈作業が行われ始めていました。そして先日、注釈史の初期の代表的著作である藤原定家の『奥入』について、定家自身が筆記した資料が新たに見つかった、との報道がありました(注2)。一昨年秋に若紫巻の定家本が発見されたことも記憶に新しく、『源氏物語』に関連する新資料の報告が相次いでいます。
藤原定家は『源氏物語』中に引用されている和歌や漢詩、内容に関連する有職故実などを調査し、各巻の本文の末尾、すなわち“奥”に記していました。『奥入』はそれらの注記を切り出して一冊にしたものです(注3)。本書には、語句の解釈に留まらず、巻名や作中の時間の推移など作品の根幹に関わる課題に取り組もうとする定家の研究態度が伺え、和歌に関する成果は、勅撰集の撰進事業や定家自身の詠作にも活かされていたことが分かっています。
池田和臣氏の発見による今般の新資料は『源氏物語』の胡蝶巻に関するもののようで、これまでは他本によって欠脱の内容を補っていた箇所にあたります。胡蝶巻の冒頭では、光源氏の大邸宅六条院のうち、紫の上を主人とする春の町を舞台として、池に船を浮かべ楽人に雅楽を演奏させる船楽の模様が語られています。新出の『奥入』では、船楽に招かれた明石中宮方の女房が詠んだ和歌と、翌日の紫の上の手紙に対する中宮の返事について注が付されているようです。春の町の風情を称える女房の歌のうち、上の句の「亀の上の山」は蓬莱の意であることや、下の句は『白氏文集』の「海漫漫」を踏まえたものであること、春の町を訪ねられなかった無念を伝える明石中宮の返事について、『古今和歌集』の「わが園の」の歌が引かれていることがそれぞれ指摘されています。このうち明石中宮の返事の引歌については、『奥入』以前に成立した現存最古の注釈とされる『源氏釈』には指摘がなく、後代の『紫明抄』や『河海抄』では『奥入』と同様の理解がなされており、注釈史上では定家が加えた出典の指摘が後世においても踏襲されたものかと思われます。
現在、書店に並ぶ注釈書もこれら古注釈の成果を踏まえて編まれており、そうした知の集積ともいうべき著作が、とりわけ文庫本であれば手頃な価格で販売されています。『奥入』の時代から脈々と受け継がれる注釈史にも思いを馳せながら、「いつかは読みたい」『源氏物語』を今こそ読んでみるのもよいのではないでしょうか。
(注1)「beランキング いつかは読みたい本」(『朝日新聞』朝刊、2011年1月15日)
(注2)YAHOO!JAPANニュース「藤原定家の自筆書の一部発見 源氏物語を注釈、国宝の欠損部」(https://news.yahoo.co.jp/articles/7cc4a0a327a34693dd3a0773b466be1abde702de、2022年4月25日閲覧)等
(注3)『奥入』については、池田亀鑑氏「奥入の成立とその価値」(『源氏物語大成 巻七 研究・資料篇』中央公論社、1956年)、池田利夫氏『源氏物語の文献学的研究序説』(笠間書院、1988年)、中野幸一氏「初期の注釈」(今井卓爾・鬼塚隆昭・後藤祥子・中野幸一編『源氏物語講座 第八巻 源氏物語の本文と受容』勉誠社、1992年)、同氏「解題 奥入(大橋家本)」(中野幸一・栗山元子編『源氏物語古註釈叢刊 第一巻 源氏釈 奥入 光源氏物語抄』武蔵野書院、2009年)、久保田淳氏「定家の源氏学」(今井卓爾・鬼塚隆昭・後藤祥子・中野幸一編『源氏物語講座 第八巻 源氏物語の本文と受容』勉誠社、1992年)等参照。