キになる言の葉 ミになる話
―「黒塚」の巻 ― 其の三
深 澤 昌 夫(日本文学科 教授)
安達ヶ原の鬼婆も、以前紹介した玉藻の前も、今では「ばっぴー」「きゅーびー」などと呼ばれ、ゆるゆると(本人は一生懸命?)地域社会に奉仕しているようだが、以前はかなり凶悪な相貌を見せていた。
安達ヶ原の鬼婆がかつてどのように描かれていたのか、二点ほど紹介しておこう。
【注意】
以下、安達ヶ原の鬼女を描いた衝撃的な画像が出て参ります。お話がお話だけに、繊細な方、神経の細やかな方、想像力の豊かな方はくれぐれもご注意ください。
【写真7】「安達ヶ原ふるさと村」併設のレストラン「よってっ亭」メニュー看板
間違った(笑)
これは観世寺の傍にある「安達ヶ原ふるさと村」で撮った写真である。
同ふるさと村のレストランには「血の池ラーメン」のほか「おにばばソフト」「オニババ出刃ーグカレー」(包丁の形に成形されたハンバーグが乗っているカレー)などがあり、これらを全部制覇すると写真のような鬼婆のお面がもらえる、というのだが(キャンペーンはすでに終了しています)、それにしてもこれは怖い。ナマハゲよりも怖い。リアルに作りすぎていて、大人でも怖い。うちの小さい人たちには絶対見せられないなあ。きっと泣いちゃうよ(なお、最近はこの顔を使って「オニババ煎餅」とか「鬼婆ラムネ」とか、ふるさと村は商品開発に意欲的なのであった)。
それはともかく、見ていただきたいのは次の絵である。
【図1】「黒塚」 鳥山石燕画『画図百鬼夜行』前篇「陽」(安永5年/1776)
*画像は稲田篤信・田中直日編『鳥山石燕 画図百鬼夜行』(国書刊行会、1992・12)による。
この絵は鳥山石燕の『画図百鬼夜行』の中の一枚、「黒塚」の鬼婆である。
石燕描くところの鬼女は、片手で糸車を回しながら片手で人の腕を握りしめ、今にもその切り口に喰らいつこうとしている。まさに「鬼一口」である。また、少々見えづらいかもしれないが、老女の足元には布をかぶせた籠があって、その中にバラバラに切り落とされた人の頭や足が見える。
いわば、中世以来の鬼婆伝説に基づく「いかにも」な一枚といえよう。
次は幕末~明治に活躍した「最後の浮世絵師」月岡芳年である。
【図2】月岡芳年画『奥州安達がはらひとつ家の図』縦二枚続(明治18年/1885)
*画像は『月岡芳年集成』(鳳来浮世絵版画美術館、2009・10)による。
芳年の描く老女は、出刃包丁を研ぎながら歯をギリギリと食いしばり、逆さづりにした身重の女を眼光鋭く睨みつけている。
本図は上下二枚で構成されており、手前に焦点を合わせると、上図の猿ぐつわをかまされて逆さづりになっている身重の女、その白くつややかな肌、大きくせり出した腹部、またこれから流されるであろう血潮を思わせる赤い腰巻は、下図の骨と皮ばかりになってしなびた乳房をさらしている老婆との対比で強烈なコントラストをなしている。
他方、妊婦の背後に視線を向けると、上図には家の戸口かと思われる開口部に夕顔らしき白い花と大きな瓜状の果実が描かれ、また崩れた土壁の向こうにも白い花や青々とした葉がのぞいている。蔓にぶらさがっている大きな実と天井の梁に吊るされた身重の女。夜の闇に咲いた白い可憐な花と若い女の白い肌。話としては恐ろしいはずなのに、どこかなまめかしく、優美な印象すら醸し出している。
十分に成長して今や収穫を待つばかりの夕顔の実(身)は月が満ちて出産間近な女の隠喩である。また夕べに咲いて朝にはしぼんでしまう夕顔の花には『源氏物語』以来の伝統として若くして不慮の死を遂げる危うく儚い女の運命が暗示されている。
「血みどろ」「残酷」「無残絵」で名高い芳年だが、ただ残酷なだけではないのである。
【其の四へつづく】