【備忘録 思索の扉】第二回「教養教育」よしなしごと(その1)

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一般教育部というところに籍を置いている自覚がようやく芽生えてきたのか、「教養教育」についてあれこれ考えるようになった。

昭和の終わりに、東京で文学部の学生になった。興味のない授業は、出席回数の最低限を類推して出席し、レポートのテーマを人づてに聞きだし、とってつけたような書き物を年度末に提出してお茶を濁した。しかし、面白いと感じた講義は一番前の席で教員の一挙手一投足に目を凝らし、一言も聞き漏らすまいと全神経を集中させて聞いた。もっとも、そうやって参画した講義は二つしかない。しかしこの二つの授業で学んだことや気づいたことの集積は、今の自分のベースの部分の形成に影響を及ぼしたと思う。

いずれの授業もいわゆる座学だった。淡々とした語り口で、うわずったり、話芸に走ったりしなかった。ただ、「ぜひとも伝えたい大切なことがある」という思いが伝わってきた。その熱量は、ただ知の伝達というそれ一点に集中して注がれていた。

講義で引用された資料を図書館でおずおずと探すなどして一人で読んでみるほどに、二人の先生がどんどん遠くに感じられ、私は混乱した。今振り返れば、立て板に水の弁舌で進む講義は、新鮮な食材の味を熟練の技で生かした美味しい料理であった。読むように勧められた本や引用された資料は、高い山や深い海でしかとれない食材であって、それらを読めるようになるには、まずもって山に登る訓練、海に潜る訓練が必要なのだった。しかし、あの「美味しい料理」をつくれるようになりたいと、思いははやった。

混乱するほどに、講義には熱心に耳を傾けた。しかし、彼らに個人的に話しかける勇気をもつことはついに、できなかった。講義の面白さと自分の未熟さの差にがっかりしながらも、いつか、先生がたたずむ場所と同じ高さで話しかけ、「学部生の時に先生の授業を聞いて、影響を受けました。今は〇×□△を研究しています」と伝える勇気を持ちたい、そのためには勉強を続けようと願って、大学院、社会人、留学生活と、つづら折りの歩みを続けてふと気づいた時には、二人ともこの世の人ではなかった。

教養教育とは何かと問われるたび、私はこの二人の先生を思い出す。彼らを生き生きとさせていた知の源がどこにあったのか知りたくて、心の旅を始めた自分は、結局いまでもまだ、その旅を続けている。たどり着けない「その場所」は、しかしどこかに必ずあると信じ続けていられるのは、彼らが私たちに語ってくれたさまざまなことが、大切なこと、嘘でないことばかりであったと、幼いなりにリアルタイムで、しかも主体的に、理解していたからだと思っている。

2019年1月11日に、教養教育について考えるシンポジウムを、一般教育部で開催すべく、準備をはじめた。「主体的に学ぶ」ということについて、多角的かつ実践的に、考える時間にしたい。

準備の過程で思いついたことを、すこしずつ、今年度の「思索の扉」で書いていこうと思う。

間瀬幸江 フランス文化論)