【備忘録 思索の扉】 第十二回 私の外国語学習法(その4)

明けましておめでとうございます。
新年ではありますが,新しい話題に移ることもなく,
今回も引き続き「私の外国語学習法」について話していきます。

ここまで3回にわたって話してきたことを,ある程度のレベルで習得するには,
私の構想では,積極的に取り組んで,効率良く進めたとして,1~2年かかる計算になります。
この期間を長いと感じるか短いと感じるかは人それぞれでしょう。
確かに,大学は4年間しかないという風に考えると,長いという気がします。
が,こういうことは単語の暗記と違って,感覚に属するものでしょうから,
一度身についていると,なかなか忘れないものです。
一生使えるものだとすると,1~2年は短いと言えるのではないでしょうか。

さて,基本的な文章を,感情を乗せて発することができるようになったら,次に行うべきは何でしょうか。
もう「表現の幅を広げる」ことしかないように思われます。
そして,この頃になると,「日本語との違い」もしっかり感じられるようになっているので,
「日本語からいかに離れるか」を考えていくことになります。
つまり,初期の頃は,日本語をヒントにして,その意味を外国語に置き換える,という方法でしたが,
なるべく日本語を介さず,その外国語だけで表現の幅を広げていくわけです。
言い換えれば,すでに基礎ができている外国語の「回路」を強化し,拡大するという作業です。

純粋なインプットとしては,当然ながら読書やリスニングがあるでしょう。
回路ができた後の読書やリスニングは,できる前とは「質」が違っています。
回路ができる前は,たとえ意味がわかったとしても,それは「日本語で」わかったということであって,
元々どのような文章が書かれ,話されていたのか,頭に残っていないものです。
ところが,回路ができた後であれば,単語の意味さえわかれば(知らない単語は調べれば),
文章自体,あたかもそれを自分で作っているかのように読み,聴くことができるのです。
そして,ある程度の長さであれば,読み,聴いたことが自然に頭に残り,オウム返しも可能になります。
逆に言うと,それができなければ,自分の回路はそのレベルに達していない,ということですから,
これまでの方法を使って回路を強化するか,読み,聴くものの難易度を下げる必要があります。
このようにして,新しい単語や,複雑なあるいは洒落た言い回しに接し,記憶していけば,
徐々に表現の幅が広がっていくことは,間違いありません。

ただ,これまでも強調してきたように,記憶はインプットだけではなかなか残らないもので,
アウトプットの機会を作ることが大事になります。
とはいえ,独学が前提のこの学習法ですから,そんな機会には恵まれていません。
そこでお勧めするのが,「日記をつける」ことです。毎日でなくても,気が向いたときでも構いません。
日記は自分のことを書くので,感情を乗せるという意味においても,良い方法です。
「何か読んだり聴いたりしてインプットしたものを使ってみる」という循環が作れればベストです。

実は,今回話した「自分のレベルに合ったものを読む(聴く)」や「日記をつける」という方法は,
それこそ,どこでも言われている方法で,それ自体は私が考えついたことでも何でもありません。
しかし,まず外国語の基本的な回路を作り,そのうえで実践する,という順番こそが,
あまり語られていない,私にとっては核心とも言える重要な学習法なのです。
回路の基礎がぜい弱なのに,多くのことを詰め込もうとするから,つい既存の日本語に頼り,
「日本語で」わかった気になって,外国語が一向に身につかない,ということが起こるのだと思います。
回路が確立した後は,読むもの聴くものがそのまま頭に入ってきて,楽しいですよ。

以上,4回にわたって話してきた「私の外国語学習法」ですが,ひとまずここで一段落となります。
と言っても,外国語学習は私の趣味であり,外国語教育は私の仕事ですから,
今後もこうした話題に触れていくことがあるかもしれません。
何か新しい発見がないか,日々考えながら,過ごしています。

小羽田誠治 中国語・東洋史学)