【備忘録 思索の扉】 第八回「ある日の親子の会話 」

先日,私の息子(小3)が,ある雑誌を読んで,こんなことを言ってきました。

「戦争なんて誰も得しないから,やっちゃいけない。」と中学生が言っていた。僕もそう思う。と。

普通の家庭なら,「そうだね。良いこと言うね。えらいえらい。」で終わっていたかもしれません。
が,幸か不幸か,わが家ではそうはなりませんでした。以下,息子との間でおこなわれた会話を要約します。

父:「戦争はやっちゃいけない」というのは良いと思う。でも,本当に誰も得しないのかな。例えば,戦争をするためには何が必要だと思う?
子:武器かな。
父:それはそうだね。なら,武器はどこから持ってくる?
子:武器を作っている人から買う……。ああ。武器が売れて儲かる人がいるね。
父:そう。少なくとも得する人はいるよね。
子:(しばらく考えて。)じゃあ,世界の総理大臣が話し合って,戦争をしないと決めれば良い。
父:なるほど。でも例えば,とても弱くて貧しい国があったとしよう。周りの国はよってたかって,その国からどんどん土地や資源を奪って行くんだ。その国はどうすれば良い?
子:……戦うしかない。
父:そう。損をしないようにするためにも,戦争が起こることだってありそうだね。
子:(またしばらく考えて。)じゃあ,豊かな国が貧しい国にわけてあげれば良いんだ。
父:それは良い考えだ。うちには他の家より本がたくさんあるね。それを皆にわけてあげようか。
子:……それは嫌だ。僕だってもっと本を読みたい。じゃあ,どうすれば良いんだろう。
父:これは簡単なことじゃない。考えれば考えるほど,難しい問題なんだ。だから,これからも一生懸命考えていくしかないんだ。

これが小学3年生の子どもに話すことだったかどうかは,わかりません。
しかし,「戦争なんて誰も得しない」と言ってすませるのは,世の中について真剣に考え,知ろうとしないことでしょう。
しかも,この言葉はまた,「戦争でもし得するなら,やっても良い」ということにもなる危険もあります。
こうした安易さに気づかず,そしてそれが逆に褒められすらすることに,私は違和感を抱いてしまったのです。
「良いこと」というのは,本当のことを追求していくなかで見つかるもので,
そうでなければ,単にうわべだけの浅いものになってしまうということは,
物事を深く研究する大学という場では,ごく当たり前の発想ですから……。
戦争の例はともかく,考え,勉強することの大事さ,きっとわかってもらえたと思っています。

さて,この会話の直後,息子は次のように言いました。
お母さん,このゴボウ硬過ぎて食べたくない。
……息子よ,まずは好き嫌いのない健康な子に育っておくれ。と父は思うのでした。

小羽田誠治 中国語・東洋史学)